大阪公立大学大学院医学研究科 脳神経外科学教室

(旧 大阪市立大学)

対談特集
ホーム > その他(対談特集)
西村周郎先生(大阪市立大学名誉教授)と
大畑建治先生の誌上対談

優れた臨床医の育成と教室の発展

大畑:今になって当時の卒後教育が非常に充実していたと実感していますが、どういう理念で進められたんでしょう。

西村:臨床的にレベルの高い脳外科医をつくることを一番の目標としました。まず病人の全身管理が大事だと思い、早い時期に麻酔科で半年間勉強してもらう。もう一つはレジデント制、米国の卒後研修の形態を取り入れました。私の後に教授になった白馬明君が米国での厳しいレジデント教育を終えて昭和47年に帰国しましたので、教育は彼に任せました。

大畑:私が入局したときは西村先生、白馬先生の教授・助教授体制がすでに確立されていましたが、その前には太田富雄先生や端和夫先生も在籍され、門下から3人の非常に優れた教授を輩出されたわけですが、3人の先生方の特徴や共通点というのは。

西村:それぞれ個性が異なりますが、共通しているのは非常にaggressiveなところです。材料があれば、すぐ論文を書く、あるいは学会へ発表しようという姿勢がありました。太田君はアイデアマンで、外傷性頸動脈海綿静脈洞瘻の治療として血流を保ったままで瘻孔を閉じることを考え、「たこ揚げ法」は実際に成功しました。血管内手術が発展していなければ今も行われていたと思います。端君には手術をうまくなってもらうようにと脳卒中、主に動脈瘤の手術をやってもらいました。白馬君は非常に気性の強い人で、若い医者の教育にはもってこいの人でした。彼の教育で皆さん腕を上げたのだと思います。3人とも教室の発展のために尽力してくれました。その後大成したことをうれしく思っています。

大畑:手術などを若い3人の先生に任されたわけですが、どうい基準で判断されたのでしょう。

西村:基本ができているかどうか、これは見なきゃいけませんが、基本ができたらやはり任せないと何事も絶対にうまくなりません。もちろん、手術室と直結した私の部屋のテレビで見ていて、後からアドバイスをしたりはしましたけど。独り立ちさせるのは大事なことだと思います。

大畑:入局当時、白馬先生は頭蓋底の手術を始められていて、大変長い手術で術後もいつもいいわけではなく、再手術もかなりありました。どのように指導されていたのでしょうか。

西村:あるところまでやりませんと、手術の術式というのはできあがりません。やりすぎの手術については折に触れいろいろ話をしたこともあります。

社会人としての教育と学会のあり方


大畑:卒後教育についてはわれわれも今苦労していますが、アドバイスがございましたら。

西村:病人に対して愛情をもつということが大事だと思います。古くから言われていることですが、病気を診るんじやなくて、患者を診る。それを教える必要があると思います。

大畑:社会人としての教育もその後非常に役に立ちました。学会発表の論文や病棟回診での日本語や医学用語の使い方、身だしなみ、学会に行くときはスーツにネクタイでないと逆鱗に触れました(笑)。

学長会を務められたときの荒木千里教授西村:いつも患者さまに不快感を与えない、これは鉄則です。学会については、古い話になりますが、昭和30年に荒木先生が外科学会の会長をなさいました。そのときスライド係をやりましたが、会場の真ん中に座っていて、3日間学会というものをつぶさに観察しました。非常に厳しい学会で、会長は3日間モーニングを着て全部の演題の座長を務め、食事はもちろんトイレに行く暇もないぐらいでした。時間も厳格で、予定の時間になるとマイクの電源が切られ、明かりがつきます。それ以後、ずっと学会とは厳粛なものであるとの思いをもってきたわけです。そして、一生懸命発表なさるんだから、きちんと発表できるよう完璧な準備をするのが主催する側の務めだという考えをもっていました。

大畑:そうですね。教室では当時学会の前に予行演習があり、日本語の使い方、スライドの色や字の大きさまで指導を受けましたが、その伝統は今も生きております。それから今は大学病院自体が学生にとって魅力のない施設になりつつあるようで、スーパーローテーションが始まり、大学に応募する人が減ってきました。入局者を増やすために、あまり厳しくしないという雰囲気もあります。昔を知る私としましては、非常に残念に思っています。放任主義は決して教育ではないと思いますが、叱るためには熱意や体力が必要で、叱るほうも消耗します。叱り方のコツのようなものがありましたら。

西村:後に引くような叱り方をしてはいけないですね。間髪を入れずに叱ってそれで終わり。後は何にも言わない。

大畑:われわれはたくさん叱られて心臓の凍る思いもしました(笑)。

西村:昨日のことを今日怒ったって始まらない。そのとき短時間で叱り、繰り返したらダメですね。まあ、月に1人1回ぐらい(笑)。

大畑:厳しい指導を受けて、朝6時頃当直で医局に行くと、先生の部屋にはもう電気がついていました。

西村:今も6時には出勤しています(笑)。