大阪公立大学大学院医学研究科 脳神経外科学教室

(旧 大阪市立大学)

対談特集
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西村周郎先生(大阪市立大学名誉教授)と
大畑建治先生の誌上対談

真のインフォームドコンセントと医療の現状

大畑:最近は医事紛争の問題もあり、米国に追随してdefensiveな治療になりつつありますが、どう対応すべきでしょう。

西村:非常に難しいですね。はっきり言えるのはあまりdefensiveになると学問は発達しない。むしろ衰えていくだろうということですね。

大畑:例えば聴神経腫瘍でみんながガンマナイフをやってしまうと、手術をできる人間がいなくなり、手術としての学問が途絶えてしまいます。私は手術するほうの立場の人間ですので、がんばってやっていきたいと思っています。

西村:ぜひ、そうしてください。もう一つ、患者さまにとって一番よい治療法、例えばどこまで腫瘍を取るのかは、患者さまが決めるものではなく、やはり術者が決めるべきです。患者さまはいくら説明しても100%は理解できません。われわれが責任をもって、今の時点でこの人にはこの治療が一番いいと決めて、それを選択させるように仕向ける。それには時間をかけた丁寧なインフオームドコンセントが必要です。また、手術の説明は必ず術者がする。それも、手術の前日ではなく、数日前から数回にわたって、家族も含めて十分納得がいくまで説明をする。それが、信頼関係を築く一番大切なことだと思います。

大畑:専門医が6,000人台になりましたが、医療現場では脳外科医が足りないんです。せっかく専門医の資格を取った人たちがアクティブに手術をしていない状況で、手術に興味がなくなった人たちもいるんじやないか、40代前後の人たちの働く環境も大事だと思います。

西村:あなたは手術が好きだけど(笑)、まだまだやることがたくさんあるんじやないかな。脳神経外科の知識をもった手術をしない脳外科医というのがいてもいいと思います。

大畑:今日は創生期のお話を中心にうかがいましたが、変わったのは画像技術や手術器具で、それ以外は今も十分通用するお話だったんじやないかと思います。

西村:そうかもしれませんね(笑)。

対談を終えて(大畑建治)
世の中の怖いものを全部足してもまだ怖かったものは、教授在任中の西村先生でした。廊下の足音だけで無条件に背筋が伸びました。退職後の現在も一門全員が畏敬の念をもって先生に接しています。その理由は、学内で伝説となった医学教育への情熱と、厳しいが筋の通った指導にあります。医師としての姿勢を徹底的に鍛え上げていただいたことに一門全員が感謝しています。このインタビューでは西村先生の教育の舞台裏を探ろうとしましたが、実は裏も表もないことに気づきました。教育は小手先の知識ではできないということを、改めて教えていただきました。西村一門の一人であったことを心から幸せに思います。どうぞいつまでもご健勝であられますよう心より願っております。
西村周郎先生のプロフィール
1948年 京都大学医学部医学科卒業
1951年 京都大学外科学教室助手
1952年 京都大学大学院医学研究科入学
1955年 京都大学医学部外科学第一講座助手
1957年 米国ハーバード大学・ボストン小児病院留学
1959年 京都大学医学部外科学第一講座講師
1962年 北野病院脳神経外科部長
1968年 大阪市立大学医学部脳神経外科学教授
1980年 大阪市立大学医学部附属病院院長(併任)
1991年 大阪市立大学名誉教授
1993年 大阪市立総合医療センター医務総長
1998年 都島脳神経外科クリニック所長