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大阪市立大学医学部におけるアイソトープの利用は、1952年(昭和27年)頃に子宮癌や甲状腺疾患の診断・治療に用いられたのが始まりですが、1958年に施行された「放射線障害の防止に関する法律」に基づいて、1960年にアイソトープ使用の許可を受け、1961年3月竣工した医学部付属病院癌センターの地下1階約160 mに、診療と研究併用の形でスタートしました。さらにアイソトープ利用が本格化するにつれて拡張が必要となり、1979年頃から5年間にわたって施設増設の予算申請を行なった結果、新設の図書館棟(1984年1月31日竣工)の1階およびBI階に629 mのアイソトープ実験施設ができ、幅広い研究に使用できるようになりました。しかし、これも手狭となり、1993年8月24日、新キャンパス整備委員会で建設が承認されたのを受けて1998年8月10日より、面積1230m2の現施設に生まれ変わりました。現施設にはマイクロPETを初めとする最新の機器が多数整備され、日本でも有数の設備を有する施設になりました。

****** 年表  ******

1952年(昭和27年)頃〜法律施行以前
32-P131-Iを用いて子宮癌・甲状腺疾患の診断・治療にRIを使用(産婦人科学教室、藤森教授ら)。また、第5福竜丸ビキニ水爆被曝事件では放射能測定などで生物物理学研究室の西脇 安助教授(ウイーン大学名誉教授)、表野 篤助手(元教授、故人)らが活躍した。

1958年(昭和33年)4月
「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」が施行された。

1960年8月13日
放射性同位元素の使用の許可を受ける。(使第553号)
藤野守次教授(放射線医学教室)が放射線取扱主任者となる。

1961年3月
医学部付属病院癌センター(後に南館と呼称)竣工。地階に診療・研究併用で使用施設がもうけられた。

1967年4月
藤野守次教授退職に伴い、玉木正男教授が放射線取扱主任者を引き継ぐ。

1970年
診療部門は1階に移転し、南館地下が研究専用となる。

1979年
玉木正男教授退職に伴い、蔭山勝弘助手(元教授)と光田秀雄主査(元保健主幹)が放射線取扱主任者を引き継ぐ。1984年まで専任の教職員がいないために、利用者と管理者にとって苦難の時代であった。

1984年(昭和59年)4月1日
新築された医学部図書館棟の1階および地下1階部分に面積629 m2RI使用施設が増設された。これをRI実験施設・本館とし、これまでの施設は臨床分室と称して、放射性同位元素実験施設が名実ともに誕生した。専任者・蔭山勝弘助手(元教授)が初めて置かれ、小野山靖人教授(放射線医学教室)が兼任で施設長となった。

1988年4月
光田秀雄主幹の退職に伴い、後任に木村政継助手(生物物理学研究室)が二人目の放射線取扱主任者となった。

1989年(平成1年)8月
新病院建設のため臨床分室を廃止(取り壊し)。

1995年4月
小野山靖人施設長(兼任)退職に伴い、山田龍作教授(放射線医学教室)が施設長(兼任)となった。


1998年(平成10年)8月10日
18階建ての新しい医学部学舎の地下3階部分に有効面積1230m2の現施設がオープンした。

2001年(平成13年)4月1日
放射性同位元素実験施設の設立から功績のあった専任者・蔭山勝弘教授の退職に伴い、木村政継助教授・放射線取扱主任者が専任者となる。

2002年3月
山田龍作施設長(兼任)退職。