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あべのキャンパスボイス

整形外科学 山野 慶樹名誉教授によるアフガニスタン・カブール大学支援

医学部国際交流委員長・大阪市立大学国際センター副所長(皮膚病態学教授) 鶴田 大輔

血管損傷手術 整形外科学教室は医学部9階に位置している。われわれの教室は11階に位置している関係で、エレベーターで整形外科関係者とよく出会う。その際に、欧米の方でもアジア系の方でも無さそうな方々によくお目にかかるなと思っていた。また、大学院の入学希望者もよくおられるなと思っていた。最近、このことは、整形外科学 山野 慶樹名誉教授のご努力から始まったことと知った。

山野名誉教授の書かれた文、朝日新聞社「アエラ」などで特集された記事などから抜粋する。

山野名誉教授による初のアフガニスタン医療支援は、大阪市大の整形外科の初代教授で、阪大に移られた水野祥太郎阪大教授のつくられた、長期プロジェクトの最後のしめくくりに1974年から75年にかけての1年3か月間、アフガニスタン国立Wazir Akbar Khan病院整形外科に山野医師が派遣されたことにより始まるそうだ(注1)。その後は、共産主義政権の樹立やソ連の侵攻、内戦などで訪れることはなかった。9・11テロ後のアルカイダ掃討作戦で平定化したアフガンに対して、以前アフガン支援を行ったことから日本政府外務省から指名され、山野名誉教授は、定年の時で、28年ぶりにアフガニスタンを訪れる事となった。JICA短期プロジェクト「地雷被害者等外傷支援・整形外科分野の拡充」で、1ヶ月調査、3ヶ月間、2年間に亘り2回滞在したのである。また、その後、アフガン整形外科医師達の強い要請で、自費で毎年2-3週間訪れた。滞在中はカブール大学の研修病院であるWAK病院で山野先生は精力的に働かれている。毎朝のカンファレンス、週3回の手術、病棟回診で指導されている。入院患者は150名ほどおられるそうで、手術は骨折中心に1日20件ほどである。ハエ取り紙をぶら下げて、大手術をつぎつぎとこなした。当初は、定年後訪問した折は山野名誉教授に何ができるのかと現地医師は懐疑的であったそうであるが、やはり、その技術・人間力・指導力などで人々を魅了された。そして、WAK病院のみならず、カブール大学神経外科病院や軍病院などからも依頼されるようになったそうである。しかしながら、JICAの限られた予算の中では、必要最小限の器材、図書しか手に入らず、山野先生自らの投資も並々ならぬものであったようである。山野先生によると自費で書籍を購入し、持参したとのことである。

その後、現地に赴かれたJICA理事が山野先生の現地でのご活躍を目にされ、逆にアフガン医師を日本へ短期滞在させることが可能となった(注2)。そしてさらには、この短期滞在では不十分と感じたアフガン医師達が研究もやりたいということで、文科省国費留学制度に応募させたところ、文科省の役人がアフガン医師の大学院留学制度をつくってくれ、大阪市立大学に継続的に留学することとなった。これらのアフガン医師は、帰国後、大学教員となり、日本で修得した医療技術を駆使して、有名になりテレビに出ている医師もいる。山野先生は現地での講義は英語で担当されるとのことであるが、医学生は大変熱心で、私語も居眠りも一度も見たことが無いそうである。アフガンでは女子医学生も30-40%と増えてきているとのことである。山野先生はさらに現地では治療しにくい患者の日本への受け入れも行っており、これまでに10人以上受け入れているとのことである。

このようなことで、山野先生はアフガンの人々の心を惹きつけた。カブール滞在中には、結婚披露宴やパーティーにもよく招かれるとのことである。山野先生のこれまでのご努力は国際交流委員長としても、ぜひ紹介したい内容であると思い、ここに記事に纏めた。

最後に山野先生のお言葉を載せる。
「医学の国際支援は言葉ではなく、共通語は医療技術、能力である。手術を見せればわかる。例えば、ドイツから講演を依頼され、講演後Dr.から手術に来てほしいといわれたが、現役の時であったので、残念ながら行けなかった。インド、ベトナムなどは講演の後、手術をしたことがある。発展途上国を支援する国際会議に出席した当時の東大教授から日本のアフガン支援がアメリカなどから高く評価されたと言われ、嬉しく思った。」

大阪市立大学発の真の国際化の成功例ではないか!
(注1)以下、山野名誉教授の弁。
大阪市立大学整形外科の初代教授、水野祥太郎先生は戦後の栄養状態、衛生状態の悪い時で結核が多く、脊椎カリエスの手術を得意とされていた。
母校の阪大に戻り、手術をしている折、アフガンの厚生大臣(カブール大学の教授がなる)が来阪していて、水野先生の手術を見て、アフガニスタンにもこの様な患者が多く助けてほしいと言った。水野先生は外務省に伝えたところ、発展途上国を支援する国際的なコロンボプランに関わることとなった。そして、先生の臨床支援が始まり、数年続いた。この支援の最後も阪大の先生の予定であったが、新しく教授になられた方は学究肌で、アフガンより欧米重視であった。そのため、川崎医大の学長になっていた水野先生は困り、たまたま川﨑医大の整形外科学教室造りに派遣されていた小生に声がかかった。これをお断りすることは、川崎医大をやめることになるので、引き受けざるを得なかった。ちなみに、この時小生が指導した川崎医大の三期生の長谷川徹先生は今、川崎医大の主任教授になっている。この様なことでアフガンプロジェクトの締めくくりに1年3ヶ月それも予算の関係でこれまでの医師2名、看護婦2名と異なり、一人で、文化の違うある意味ではなまいきなアフガン医師相手に頑張ってきた。
この支援がアフガン側に認められ、これまで10名余りの患者、最近では昨年1月にアフガン患者が来阪し、小生の病院で無料で手術し、帰国している。
(注2)以下、山野名誉教授の弁。
小生のアフガンでの支援を見たJICAの理事は予算の関係からか、プロジェクトの延長はできないので、アフガン医師を日本に招いて指導してほしいといわれ、アフガン医師が来阪するようになった。選抜して来阪した医師は3か月間では短すぎるとか、研究をみせると彼らも研究したいと言われ、文科省の外国人留学制度に応募させたところ、市大からその年は医学部は10人中10位であったが、文科省はどの大学からも出ていないアフガン医師を目敏くみつけ、日本は国際的に軍隊は出せないが、教育支援をしているということで、アフガン医師を選抜したいが、市大から10人もとれないので5番以上にあげてくれと事務にいってきたが、順位は学内で毎年決まっており変更できないと伝えたところ、なぜどの大学も出ていないアフガン医師が市大から出ているのかと問われたので、小生がアフガンで手術、学生講義、医師研修指導をしていることを写真付きで返答したところ、文科省はアフガン整形外科医師の大学院留学生の別枠を作ってくれ今に続いている。これまで5名が帰国して活躍してくれているが、マイクロ手技をマスターし手術の上手になったDr.は種々の難手術を行いテレビに出る程有名になり、日本でProf.山野に教えられたといっている。またイランの国境に近いヘテートに帰ったDr.は大学でこれまでなかった整形外科教室を立ち上げている。
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