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第2章 私たちの生活とバイオフィルム

1. バイオフィルムによるお風呂や台所の汚染

図2-1 シャワーヘッドを汚すバイオフィルム
MAC菌(マイコバクテリウム・アビウムコンプレックス)がシャワーヘッドにバイオフィルムを形成する。バイオフィルム内のMAC菌は細胞外マトリクスというバリアによって塩素消毒から守られる。

 皆さんは家事、特に水回り(お風呂や台所)の掃除を手伝っていますか? (私が皆さんと同じ中学・高校生の頃は部活に明け暮れ、ろくに手伝っていませんでした…) さて、私たちが生活する家の水回りには、肉眼では見えない非常に数多くの微生物たちが生息しています。お風呂のバスタブやお湯の注ぎ口、シャワーヘッド、台所のシンクや排水口をさわると、いやな「ヌメリ」を見つけることがありませんか? 実は、それが微生物たちの巣「バイオフィルム」です。

 水回りに生息する微生物たちは、お風呂のバスタブや台所のシンク等、足場となる器材の表面に付着し、石鹸カスや皮脂汚れ、食べ物の残りカス等の有機物を栄養として、分裂を繰り返しながら増殖していきます。その際に、多糖やタンパク質、DNA等からできる細胞外マトリクスに囲まれていきます。その状態が、私たちの身近に見られるバイオフィルムの一つであると考えられています。彼らが何も悪さをしなければ、ヌメヌメすること以外に困ることは無いはずなのですが、そこに病原細菌が生息していると、どうでしょう。何かの拍子にバイオフィルム中の病原細菌が体の中へ侵入し、様々な感染症を引き起こすかも知れませんよね。実は、そのような例があるので、紹介したいと思います。

 MAC菌(本項では特にMycobacterium avium subsp. hominissuis)と呼ばれる細菌がいます。この菌を吸い込んで肺に感染すると、肺MAC症という感染症を引き起こすことがあります。肺MAC症にはいくつか厄介な点があり、(1)抗菌薬(抗生物質)が効きにくい (2) 治療に年単位の長期間を要することが多い (3) 進行すると命に関わることもある というものです。特に(3)については、年間1000人以上が肺MAC症で死亡していると推測されています。

 MAC菌は環境中のどこにでも存在するのですが、特に注意したいのは、毎日の疲れを癒す場所「お風呂」です。2019年に報告された研究結果(有川 他 Infection, Genetics and. Evolution Vol. 74: 103923) では、全国180の家庭のお風呂を調べたところ、その約16%からMAC菌が検出されました。MAC菌はお風呂の注ぎ口やシャワーヘッドにバイオフィルムを形成して生息していると考えられています。「水道水は塩素消毒されているので、微生物は生き延びられないのでは? 」と思うかも知れません。しかし、バイオフィルムの中の微生物は、マトリクスといういわばバリアに囲まれていて、薬が効きにくい状態にあります(図2-1)。MAC菌も例外では無く、一度バイオフィルムを形成してしまうと、塩素消毒だけでは不十分と考えられています(西内 他 環境感染誌 Vol. 30 No. 4 243-8 2015年)。

 近年、肺MAC症は中高年女性を中心に、急速に増加しています(最近、テレビ番組でも紹介されましたね)。今回紹介したMAC菌の他にも、水回りのバイオフィルムには様々な病原細菌が生息していることがあります。しかし、水回りを日頃から清潔にしておけば、過度に恐れる必要はありません。私たちの生活に欠かせない水回りは、いつもきれいにしておきたいですね。

2. バイオフィルムによる下水管の腐食

図2-2 下水管を腐らせるバイオフィルム
硫酸塩還元細菌が下水管の底にバイオフィルムを形成して、下水に含まれる硫酸イオン(SO42-)を硫化物イオン(S2-)に還元する。硫化物イオンは水素イオンと反応し、硫化水素(H2S)になる。硫化水素は下水管の気相部の壁面に付着する。すると今度は、気相部に存在している硫黄酸化細菌が硫化水素を硫酸イオンに酸化して硫酸(H2SO4)に変換する。結果、気相部の壁面に硫酸が結露し、下水管のコンクリートが腐食する。

 私たちの生活から排出される排水(下水)は下水管を通って処理場に運ばれます。下水が下水管を流れる速さは、私たちの歩く速さ(時速約4km)と同じぐらいと言われています。下水には、タンパク質や油などの有機物や金属やイオンなどの無機物、さらには自然環境中の微生物が含まれています。それらが、下水管を通って下水処理場まで運ばれた後、まずスクリーンや沈砂池で大きな懸濁物や砂や小石などは取り除かれ、下水中に溶けている有機物は空気を吹き込んだばっ気槽で様々な微生物(活性汚泥と呼ばれています)によって酸化されて水と二酸化炭素にまで分解されます。その後、沈殿槽において処理水と活性汚泥に分離され、最終的に処理水は塩素によって殺菌され河川に放流されます。この一連の流れは“生物学的排水処理”と呼ばれています。

 これらの下水管や下水管につながるマンホールの壁は主にコンクリートで出来ており、古い下水管や壁がぼろぼろになってしまうことがあります。これはどうしてでしょう?この原因は、コンクリートの壁面に硫酸が付着し、アルカリ性のコンクリートと反応することによって強度が弱くなるためです。この現象は、“コンクリート腐食”と呼ばれています。1リットルの下水中には私たちのし尿や洗剤などに由来する硫酸イオンが数十mg含まれています。自然環境中には、下水管の底や壁面などにバイオフィルムを形成し酸素がない条件下で、この硫酸イオンを硫化物イオンに還元することでエネルギーを得ている微生物(硫酸塩還元菌)が存在しています。生成された硫化物イオンは、速やかに水素イオンと反応し、有毒で非常に臭い気体である硫化水素になります。生成した硫化水素ガスは下水管の気相部の壁面やマンホールの壁面に付着します。すると今度は、気相部に存在している、硫化水素を硫酸イオンに酸化することでエネルギーを得ている微生物(硫黄酸化細菌)によって硫酸に変換されます。このようにして、気相部に面した壁面に硫酸が結露することでコンクリートの主な成分である水酸化カルシウムと反応し硫酸カルシウム二水和物に変化して,コンクリートがもろくなってしまいます。

 これらの下水管の腐食を防ぐために、腐食が起こりやすい部分を樹脂で塗装したり、微生物が付着しにくい材質に変更しバイオフィルム形成を防ぐことで硫酸塩還元菌が硫化水素の生成を抑えたり,と色々な対策が開発されています。

3. バイオフィルムによるプラスチックの分解

図2-3 プラスチックを分解するバイオフィルム
左の写真は、生分解性プラスチックが原料のフィルムを湖水に一週間浸した状態を示している。その表面にはバイオフィルムが形成されており、生分解性プラスチックを分解してエサとする細菌が生息している。また、生分解性プラスチックは分解できないが、他の細菌由来の生分解性プラスチック分解産物を利用する細菌も生息している。

 現在、プラスチックによる環境汚染が世界中で問題になっています。この問題の解決策の一つとして、環境中の微生物により速やかに分解される「生分解性プラスチック」を広く使用することが挙げられます。実は、この生分解性プラスチックの分解にバイオフィルムが関係していることが分かってきました。この写真は、生分解性プラスチックが原料のフィルムを日本の湖で採取した水に浸して一週間置いたものです。表面がぬめりのような膜で覆われているのが分かると思いますが、これがバイオフィルムです。このバイオフィルムの中には、様々な種類の生分解性プラスチック分解細菌が生息することが分かっており、プラスチック分解酵素を分泌して分子量が小さい物質へと分解し、最終的にエサとして体内に取り込みます。中には、生分解性プラスチックを分解できないにも関わらず、他の細菌が分解してできた物質をこっそりもらって生息している細菌も存在しています。このように、バイオフィルムには多種多様な細菌が共生しており、プラスチック分解に一役買っているのです。

4. バイオフィルムによる植物の成長

図2-4 植物を成長させるバイオフィルム
ダイズなどのマメ科植物の根には、こぶ状のもの(根粒)がある。根粒の中では、根粒菌(ブラディリゾビウム属など)がバイオフィルムを形成しており、大気中の窒素から窒素化合物を合成する。窒素化合物は植物が成長するためのアミノ酸(肥料)に変換され、植物に供給される。一方で、植物は糖(栄養)を根粒菌に供給する。
(原画提供:平川裕子氏)

 皆さんは、ダイズなどのマメ科の植物の根に「こぶ」のようなものがあるのをご存知ですか?これは、「根こぶ」あるいは、「根粒(根瘤)」とも呼ばれています。「根こぶ」の中には、ブラディリゾビウムと呼ばれる微生物たちがバイオフィルムを作って集団生活をしています。この「根こぶ」に住んでいる微生物は、「根粒菌」と呼ばれています。植物が成長するためには、硝酸塩などの窒素化合物が必要なのですが、「根粒菌」は大気中の窒素を還元することで様々な窒素化合物を合成し、植物に供給しています。一方で、植物は光合成によって得られた糖などの栄養素を「根粒菌」に分け与えています。したがって、植物と「根粒菌」はお互いに助け合って生活をしています。これを「共生」と呼びます。このことから、「根粒菌」が作るバイオフィルムは植物との「共生」に重要であることがわかります。近年では、植物の生育促進や生産量の向上のために、これまで用いられてきた化学肥料に加えて新しい技術として、「根粒菌」の人工接種法などの導入が期待されています。

5. バイオフィルムによる発酵食品の製造

図2-5 発酵食品を造るバイオフィルム
ゼリー状のナタ・デ・ココは、酢酸菌アセトバクター・キシリナムが多糖セルロースで覆われたバイオフィルムそのものである。ケフィアヨーグルトは、多糖ケフィランを産生する乳酸菌ラクトバチルス・ケフィラノファシエンスと酵母がバイオフィルムを形成し、複合発酵してできたものである。

 発酵食品とバイオフィルムとの関係の前に、まず発酵食品がどのようなものかをまずお話しします。発酵食品ときいて、皆さんはどのようなものを思い浮かべるでしょうか?味噌、醤油、酢、納豆、ヨーグルトなどが浮かんできたでしょうか。これらの発酵食品は、皆さんの食卓に出てこない日はないほど、とても身近にあるものですね。

 発酵食品のほとんどは微生物によって造られるのですが、食材を放っておくと普通腐ってしまい、食べられなくなりますよね。これは多くの場合、微生物が食材を食べることで蓄積した代謝物が人にとって有害であるためです。では、発酵食品はどうでしょう。発酵食品も微生物が食材を食べるという点では同じですが、蓄積した代謝物が人にとって有益である、という点が大きな違いです。このような食材を腐らせてしまう微生物を腐敗菌、有用な代謝物を造る微生物を発酵菌と呼んでおります。食材そのもの、またその周りには腐敗菌も発酵菌もいますので、食材を腐らせずに発酵食品を造るためには、人による微生物のコントロールが肝心です。一方で、この発酵食品の歴史は非常に古く、紀元前5000年(およそ7000年前)にはヨーグルトが造られていたことが遺跡調査から明らかになっています。当然、この時代においては、人は微生物の存在を知りませんでしたが、その中で、発酵菌による食材の食べ具合や代謝物の蓄積度合いなどを何らかの指標によって判断することで発酵食品を造ってきたのです。

 最初に、この指標の一つとしてバイオフィルムが利用されている米酢を紹介します。米酢は、酢酸菌という微生物がエタノールを酸化して酢酸を生成することにより造られます。酢酸菌が酢酸を発酵する際に、発酵液表面にバイオフィルム(液体と気体の境界面に造る菌膜)を形成します。特に、酢酸菌の一種アセトバクター・パスツリアヌスはチリメン菌と呼ばれており、絹布のチリメンのような美しい光沢と特有の皴を持ったバイオフィルムを形成します。食酢醸造の現場では、このバイオフィルムの形成度合を米酢造りの指標にしています。

 また、バイオフィルムそのものが発酵食品となるケースがあります。ココナッツウォーターを原料として造られるゼリー状のデザートであるフィリピン発祥のナタ・デ・ココがその代表例です。20年ほど前に日本においてもブームになり、現在でも様々な形態でナタ・デ・ココを含んだ食品が市販されております。このゼリーは、酢酸菌アセトバクター・キシリナム・サクロファシエンス亜種(通称ナタ菌)が自身の造るセルロースによって覆われたバイオフィルムそのものであり、正に我々はバイオフィルムを食しているのです。また、本菌の造るセルロースはバクテリアセルロースと呼ばれ、(1)リグニン・ヘミセルロース不含、(2)超微細繊維状(太さ数十nm:1nm=1/1、000、000mm)、(3)非常に発達したネットワーク構造、(4)高い機械的強度、(5)生分解性、(6)生体適合性、(7)保水性といった特徴から、スピーカーの音響振動版、人工血管、創傷被膜剤、UVカット材、高強度透明材料、表示デバイスなどに応用されています。発酵菌が造る多糖が応用されている別の例として、粘性多糖ケフィランがあります。コーカサス地方で造られる発酵乳ケフィアヨーグルトの発酵菌の一つである乳酸菌ラクトバチルス・ケフィラノファシエンスが造る粘性多糖です。ケフィアヨーグルトにおける水溶性食物繊維として腸内環境の改善などをもたらす機能性成分であるとともに、その優れた保湿性が化粧品成分として応用されています。

 最後に、我が国で独特の発展を遂げてきた日本酒、味噌、醤油などの発酵食品とバイオフィルムとの関係についてです。これらの発酵食品は、麹菌、酵母菌、乳酸菌といった発酵菌の共同造業によって造られるのですが、製品や製造途中のサンプルから分離してきた麹菌、酵母菌、乳酸菌の異なる微生物の間で、複合バイオフィルムを造るケースが見つかってきています。この複合バイオフィルムが発酵食品の製造にどのような影響をもたらすかについては明らかになっていませんが、我が国における伝統発酵食品が微生物バイオフィルムを積極的に活用してきた可能性を示していると考えられます。

 以上のように、発酵食品とバイオフィルムとの関係を示す個々のケースを紹介してきましたが、最後に紹介した複合バイオフィルムのように未解明な部分も多々あります。これらを明らかにすることで、より安全で効率的な発酵食品づくりや、発酵による新たな有用素材づくりが実現できるかもしれません。