21世紀における感染症の脅威と制圧戦略

第1回 総 論:感染症の現状と将来展望

小林 和夫

大阪市立大学大学院医学研究科感染防御学分野 教授
http://www.med.osaka-cu.ac.jp/hostdefense


目    次

要     旨

は じ め に

感 染 症 に よ る 死 亡

感染症と悪性新生物や循環器疾患の関連

感染症発生動向の将来予測

新 興 ・ 再 興 感 染 症

抗微生物薬耐性/抵抗性病原体感染症

行 政 対 応

お わ り に

要    旨

 世界の年間総死亡は5,400万人、内訳として、感染症に基因する死亡は1,350万人であり、すなわち、感染症は総死亡の約1/4を占めています。さらに、悪性新生物(胃癌、肝細胞癌、子宮頚癌や成人T細胞白血病)や動脈硬化に病原体感染が関与し、感染症は広範で甚大な健康被害を招来しています。感染症の増加には、社会要因として、都市化/過密、貧困、交通機関の発達による高速移動や国際化、宿主要因として、易感染性(高齢化、糖尿病、免疫抑制薬/臓器移植)、病原体要因として、病原性の変化や薬剤抵抗性などが関与しています。世界保健機関は後天性免疫不全症候群、結核およびマラリアに対し緊急事態を宣言しています。21世紀の世界や人類は感染症制圧戦略を模索することでしょう。教育・行政・社会基盤整備に加えて、人類の叡智が感染症を克服することを期待しています。


は じ め に

 世界の年間総死亡は約5,400万人、その内訳として、循環器疾患(心疾患;心筋梗塞、脳血管障害;脳梗塞、脳血栓、脳出血など):1,670万人、感染症:1,350万人、悪性新生物:700万人、不慮の事故死:590万人であることから、感染症は現在でも全世界の総死亡の約1/4を占め、人類に大きな健康被害を招来しています(表1)(http://www.who.int/infectious-disease-report/pages/grfindx.htmlhttp://www1.mhlw.go.jp/toukei/12nensui_8/index.html)。

表1.世界における死因別死亡数

死   因

死 亡 数:万 人

死亡総数に対する割合:%
全 死 亡
5、400(98)
100(100)
循環器疾患
1、670(29)
 31 (30)
感 染 症
1、350( 9)
 25 ( 9)
悪性新生物
  700(29)
 13 (30)
不慮の事故死
  590( 4)
 11 ( 4)

The World Health Report 1998: Life in the 21st century、世界保健機関
(  )内は厚生省/厚生労働省、1999:人口動態統計



感 染 症 に よ る 死 亡

 感染症による死亡(1,350万人/年)の主要な原因として、急性呼吸器感染症(肺炎など):396万人、後天性免疫不全症候群(AIDS):267万人、下痢原性疾患(赤痢、コレラなど):220万人、結核:167万人、マラリア:109万人や麻疹(はしか):89万人などがあります(表2)(http://www.who.int/infectious-disease-report/pages/graph5.html)。これら感染症の甚大な脅威に対し、世界保健機関(WHO、World Health Organization)は、今後の疾病発生動向予測や対策上、重要な3大疾患、すなわち、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症/AIDS(1989年)、結核(1993年)およびマラリア(1998年)に対し世界緊急事態宣言を発しています(http://www.who.int/)。実際、2000年12月に開催された九州-沖縄サミットG8会議で、3大感染症である1)HIV/AIDS、2)結核および3)マラリアの制圧に向けて、G8諸国が共同して対策を講ずることが採択されています(http://www.g8kyushu-okinawa.go.jp/e/genoa/infection.html)。

表2.世界における感染症による死亡数(1999)

感  染  症

死 亡 数:万人
全 感 染 症
1、350
急性呼吸器感染症
  396
AIDS(結核合併を含む)
  267
下痢原性疾患
  220
結     核
  167
マ ラ リ ア
  109
麻 疹(はしか)
   89
破  傷  風
   38
百  日  咳
   30
性 感 染 症
   18
髄  膜  炎
   17

世界保健機関、2000

 また、従来、地域的に感染症に基因する死亡は開発途上国に顕著でしたが、近年、日本を含めた先進諸国においても感染症による死亡は増加しています。例えば、日本における肺炎による年間死亡は約8万人、死因順位:4位、総死亡に占める割合:約9%です(人口動態統計、厚生労働省)。


感染症と悪性新生物や循環器疾患の関連

 さらに、従来、非感染性疾患として認識されていた悪性新生物(胃癌:Helicobacter pylori、肝細胞癌:BおよびC型肝炎ウイルス、子宮頚癌、肛門癌や外陰部癌:ヒト乳頭腫ウイルス、Burkittリンパ腫や鼻咽頭癌:Epstein-Barrウイルス、成人T細胞白血病:ヒトT細胞指向性ウイルス、Kaposi肉腫:ヒトヘルペスウイルス8型)に病原体感染が関与しています(表3)。すなわち、病原体感染が発癌を誘導していることが明らかになってきました(http://193.51.164.11/monoeval/grlist.html)。悪性新生物の約20%に病原体感染が関与していることが想定されています。

表3.病原体/微生物感染が関与する悪性新生物

病 原 体/微 生 物

悪 性 新 生 物
Helicobacter pylori:ピロリ菌
胃   癌
ヒト乳頭腫ウイルス
子宮頚癌、肛門癌、外陰部癌
BおよびC型肝炎ウイルス
肝 細 胞 癌
Epstein-Barrウイルス
Burkittリンパ腫、鼻咽頭癌
ヒトT細胞指向性ウイルス
成人T細胞性白血病
ヒトヘルペスウイルス8型
Kaposi肉腫

世界保健機関、2000

 加えて、循環器疾患(心疾患;心筋梗塞、脳血管障害;脳梗塞、脳血栓、脳出血など)における基本的病態である動脈硬化に病原体感染(肺炎クラミジアやヘリコバクターピロリ菌)が関与していることが疑われています。すなわち、感染病原体は古典的な感染症のみならず、悪性新生物や循環器疾患にも関与し、広範で甚大な健康被害を惹起しています(http://www.who.int/infectious-disease-report/pages/grfindx.html)。


感 染 症 発 生 動 向 の 将 来 予 測

 感染症の発生動向将来予測として、社会基盤の整備、抗微生物化学療法やワクチンで治療・予防可能な疾患(表4)は将来的に減少することが考えられますが、その他の感染症(HIV/AIDSや結核など)は今後も現状維持あるいは増加することが予測されています(http://www.hsph.harvard.edu/organizations/bdu/summary.html)。人口増加と都市化に伴う自然環境破壊、交通機関の発達に伴う国際交流の激増は、世界の疾病構造に変化を惹起し、特定地域に発生した感染症に対し、自国の問題として迅速に対処しなければならない状況にあり、感染症の国際化(globalization)が進む新時代に対応するためには、民族や国境を越えた感染症対策の構築、すなわち、新時代に即応した国際協力体制の確立が必要となります。現在、数多くの感染症に有効なワクチンが知られていますが、ワクチン未接種により、約300万人が死亡しており、誠に、残念です(表4)。


表4.ワクチンにより予防可能な感染症および推定死亡数

感  染  症

推定死亡者数/年
ポリオ(小児麻痺)
      720
ジ フ テ リ ア
    5、000
百  日  咳
  346、000
麻 疹(はしか)
  890、000
破  傷  風
  410、000
インフルエンザ桿菌性肺炎
  400、000
B 型 肝 炎
  900、000
黄     熱
   30、000

合     計

  約2、980、000

世界保健機関、2000


新 興 ・ 再 興 感 染 症

 新興感染症(emerging infectious diseases)は「最近約30年間(1970年以降)に、新たに発見された感染病原体、あるいは、かつては不明であった病原体により惹起され、地域的あるいは国際的に公衆衛生上問題となっている新感染症」と定義されています(http://www.who.int/emc/)。新興感染症として、30以上の感染症/病原体が報告されていますが、発見年と話題になった代表的疾患を記載しました(表5)。

表5.新 興 感 染 症

 最近約30年間(1970年以降)に、新たに発見された感染病原体、あるいは、かつては不明であった病原体により惹起され、地域的あるいは国際的に公衆衛生上問題となっている新感染症

発 見 年

病 原 体/感 染 症
1973
ロタウイルス感染症(乳児下痢症)
1976
クリプトスポリジウム症(急性および慢性下痢症)
1977
エボラ出血熱、レジオネラ症(肺炎)
1982
志賀毒素産生性大腸菌感染症(食中毒、溶血性尿毒症性症候群)、
ボレリア感染症(ライム病)
1983
Helicobacter pylori感染症(胃炎、胃・十二指腸潰瘍、胃癌)、
ヒト免疫不全ウイルス感染症(後天性免疫不全症候群)
1989
C型ウイルス性肝炎(慢性肝炎、肝硬変、肝細胞癌)
1992
新型コレラ
1996
プリオン(狂牛病、Creutzfeldt-Jakob病)
1997
トリ型インフルエンザ
1999
西ナイル脳炎、マレーシア脳炎

 再興感染症(re-emerging infectious diseases)は「既知感染症で、発生数が減少し、公衆衛生上ほとんど問題にならなくなっていましたが、近年再び出現/増加している感染症」です(http://www.who.int/emc/)(表6)。

表6.再 興 感 染 症

 既知感染症で、発生数が減少し、公衆衛生上ほとんど問題にならなくなっていたが、近年再び出現/増加している感染症

細 菌 性
結核、コレラ、ペスト、髄膜炎菌性髄膜炎、
ジフテリア、劇症型A群溶血性連鎖球菌
ウイルス性
黄熱、デング熱
原 虫 性
マラリア

 新興・再興感染症の増加要因(表7)として、社会要因:国際化、交通機関の発達による人民の大量・高速移動(日本→外国:1,600万人/年、外国→日本:500-600万人/年)や食料品(日本の食料自給率:約40%)、都市化による過密/人口の集中、貧困、地球環境破壊/温暖化、病原体要因:抗微生物薬耐性/抵抗性、病原性の変化、宿主要因:易感染性宿主(高齢者、糖尿病、HIV/AIDSなど)の増加などが考えれています。また、最近まで、日本を含めた先進諸国では感染症を解決された過去の疾患と錯覚し、その対策を怠ってきたことも増加要因と考えられます。


表7.新興・再興感染症の増加要因

社 会 要 因
高速大量・人民移動、海外旅行の増加
食料品の国際化
衛生状態の低下を伴う人口過密都市、貧困
地球環境破壊、気候の変化(温暖化)
感染病原体要因
抗微生物薬耐性/抵抗性、病原性の変化
宿 主 要 因
易感染性宿主の増加(高齢、糖尿病、HIV/AIDSなど)
行 政 要 因
衛生行政の不備




抗微生物薬耐性/抵抗性病原体感染症

 現代における感染症の基本的制圧戦略は感染病原体を治療標的とした抗微生物化学療法ですが、欠点として、1)宿主への副作用(肝腎障害、造血障害など)、2)抗微生物薬耐性病原体の出現や3)環境汚染などがあります。特に、抗微生物薬耐性/抵抗性病原体感染症(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌、ペニシリン耐性肺炎球菌、バンコマイシン耐性腸球菌、耐性緑膿菌、耐性淋菌、多剤耐性結核菌、クロロキン耐性マラリアなど)は感染症対策上、重要な問題を提起しています(表8)。すなわち、人類は抗微生物薬耐性/抵抗性病原体感染症に対し、武器(有効な抗微生物薬)を所持していないため、対応に苦慮しているのが実情です(http://www.who.int/inf-fs/en/fact194.html)。医療における抗微生物薬の濫用、家畜産業での成長促進物質としての抗微生物薬の使用は、耐性/抵抗性病原体の出現を助長しているのが実情です。抗微生物薬の質および量共に適切な使用が望まれます。


表8.抗微生物薬耐性/抵抗性病原体感染症

 現代における感染症の基本的制圧戦略は病原体を治療標的とした抗微生物化学療法である。欠点として、1)薬剤耐性病原体の出現、2)宿主への副作用(肝腎障害、造血障害など)や3)環境汚染などがある。特に、薬剤耐性病原体感染症は感染症対策上、重要な問題を提起している。すなわち、人類は薬剤耐性病原体感染症に対し、武器(有効な抗微生物薬)を所持していないため、対応に苦慮している。

代表的な抗微生物薬耐性/抵抗性病原体
メチシリン耐性黄色ブドウ球菌
ペニシリン耐性肺炎球菌
バンコマイシン耐性腸球菌
薬剤耐性緑膿菌
薬剤耐性淋菌
多剤耐性結核菌
抗マラリア薬(クロロキン)耐性マラリア



行 政 対 応

 新興・再興感染症の台頭/出現、医学・医療の進歩、公衆衛生水準の向上、人権尊重と行政の透明化、事前対応型行政、国際化への対応/国際協力の推進、発生動向調査の推進および動物由来感染症対策の充実を指向し、「伝染病予防法」、「性病予防法」および「エイズ予防法」を廃止・統合し、1999年4月1日から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(法律第114号)が施行されています。わが国の感染症対策を「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」、「結核予防法」、「検疫法」と「狂犬病予防法」に集約し、新時代に即応した感染症対策を推進しています(http://wwwcl.mhw.go.jp/%7Ehourei/hourei/html/contents/index04.html#HEN04)。


お わ り に

 感染症制圧対策は1)教育・環境・行政など社会基盤整備、2)抗微生物化学療法、3)免疫介入療法、4)併用療法(抗微生物化学および免疫介入療法)により、推進されています(図)。しかし、感染症対策の基本は予防であり、予防における最も効果的、かつ、科学的戦略は宿主を標的、かつ、有効活用した免疫介入療法:予防接種/ワクチンであることは過去、現在、将来共に不変です。事実、人類が根絶した唯一の疾患は痘瘡/天然痘であり、その勝利の要因はワクチンですし、ワクチン戦略はポリオ(小児麻痺)の制圧にも貢献しています。
 しかし、微生物界は再興感染病原体のみならず、新興病原体や抗微生物薬耐性病原体を絶えず産出して、人間社会に侵入し、健康に対する脅威を反復することが想定されます。また、志賀毒素産生性大腸菌感染症、メチシリン耐性ブドウ球菌感染症や結核などの集団・病院を含めた施設内感染も脅威であり、感染症危機管理体制の確立は重要です。19世紀末から20世紀に人類は多くの感染病原体を発見し、感染症制圧に勝利したと錯覚/自負した人類が20世紀末に、感染症に対する現代社会の脆弱性や脅威を改めて再認識しています。
 21世紀の世界や人類は、再び、感染症と戦い、制圧/根絶、あるいは共存を指向した新しい道を模索することになりますが、この過程には多くの困難や障害が待ち受けているでしょう。教育・環境・行政・社会基盤整備に加えて、人類の叡智が感染症を克服することを、そして、健康被害を減少させることを期待しています。



図   感 染 症 制 圧 戦 略