インフルエンザ対策の国際動向:パンデミックとワクチン接種

第2回 インフルエンザワクチンの有効性


 1.研究の困難性
 2.研究の経緯
 3.インフルエンザワクチンの有効性(相対危険と有効率)
 4.有効性に関する論点



  去る1030日に予防接種法改正案が参議院本会議において可決され、ようやく日本でも高齢者へのインフルエンザ予防接種が今冬から公的に行われることとなりました。諸外国から随分遅れたとは言え、大きな前進です。しかし本改正案の審議の過程では、やはり「インフルエンザワクチンの有効性」が議論の中心になったようです。
 インフルエンザワクチンの有効性は“firmly established”と表現されており,日本以外の国では既に議論の対象とされていません。日本のみに認めるこれら特殊な状況の理解に資するため,今回は有効性の評価に関わる論点を整理します。
 それはさておき、まず前回のQuizの回答をお示しします。

Quiz 1

わが国の人口動態統計によると、19951999年の5年間におけるインフルエンザ死亡数(インフルエンザウイルスが分離されたものと、分離されないものの総計)は、全年齢合計で、各年1,2441668155281,382です。ところが近年インフルエンザシ−ズンには、「高齢者のインフルエンザ死亡が1,000人を超えた」といったことがしばしば報道されます。これでは高齢者の死亡数だけで、全年齢合計の死亡数に等しいか、あるいはもっと多いということになります。この数値の矛盾は何に起因するのでしょう?
Answer 1

これには2つの理由があります。
 まず第一は、心疾患、脳血管疾患、悪性新生物、糖尿病などの基礎疾患があり、そのような人がインフルエンザにかかって死亡した場合、それらの基礎疾患が死亡診断書に記載され死因として特定されるためです。従って人口動態統計に表れるインフルエンザ死亡数は実態を反映していません。これが最大の理由です。「インフルエンザ関連死亡」を把握することによって始めて、真のインフルエンザのインパクトを理解することができます。
 第二に、インフルエンザの診断は通常の診療の場では臨床診断によって行われ、病原診断が行われることは稀であることも影響しています。このようにインフルエンザウイルス感染症として確定診断がついていないため、死亡診断書には「インフルエンザ」と記載されず、上気道感染、気管支炎、肺炎などの病名が書かれることになります。この点は、近年の迅速診断の普及に伴いある程度克服されていくでしょう。

Quiz 2

インフルエンザの文献や記事には、「罹患率」と「発病率」という言葉が出てきます。
この用語の意味は同じですか? 違いますか?
Answer 2 「罹患率」とは、一定期間内に対象集団の中で観察された疾病罹患数を、対象集団内の一人一人の観察期間の総計で割ったものです。この場合の観察期間とは、対象者が疾病に罹患する可能性がある(at risk)期間であり、観察人時(person-time)で表されます。従って単位は時間の逆数(/年、/月、/週、/日、など)になります。割合(proportion)ではないので%を付けることはできません。
「発病率」とは、固定した対象集団の中から一定期間内に疾病に罹患した者の、全対象者数(観察開始時の対象集団の人数)に対する割合です。従っては%を付けて表すことができます。疫学用語としては「累積罹患率」のことであり、感染症など比較的短期間に高頻度で発生する疾病、特に急性感染症の場合に「発病率」という言葉を使うことが多いようです。
 「罹患率」と「累積罹患率」の違いを疫学のテキストでよく理解してください。「インフルエンザの罹患率が○%」といった誤った記載がある調査報告は、調査デザインや解析手法、および結果の解釈においても、何らかの誤りを多々見受けます。

Quiz 3

 ワクチンの普及状況を比較した3は、私たちが1996年に発表したものであり(Nature 1996; 380: 18)、多くの研究者によって引用されてきました。この縦軸は「人口1,000人当たりのワクチン配布用量(1 dose=0.5ml)」を示しています。ところが、しばしば「人口1,000人当たりのワクチン接種率」と誤って引用されます。そしてこのような誤った引用をするのは、日本人研究者だけなのです。その理由を考えてみましょう。
Answer 3  日本では、インフルエンザワクチンの用法および用量は次のように規定されています。@1歳未満:0.1Lずつ2回、A1歳から6歳未満:0.2Lずつ2回、B6歳から13歳未満:0.3Lずつ2回、C13歳以上:0.5Lを1〜2回。
 米国では、@6ヵ月から3歳未満:0.25L1回、初めて接種を受ける場合は2回、A3歳から9歳未満:0.5L1回、初めて接種を受ける場合は2回、B9歳以上:0.5L1回。
 わが国では、かつて学校などで集団接種を行っていた時期、全対象者数と接種を受けた者の数が確実に把握されていました。従って、ワクチンの普及状況を接種率で見るのが、容易かつ最も正確でした。その他、学童や生徒以外には殆ど接種を受ける者がいなかった、小学生と中学生では接種量が異なる、といったことも「接種率」を用いる理由としてあげられます。
 一方欧米先進諸国においては集団接種の方法をとることは殆ど無いので、一般に、サンプル調査以外に接種率を確実に把握した例は稀です。その他、接種対象者の殆どが高齢者であるため接種量が一定であること、接種回数が1回と定められているので配布用量がそのまま高齢者の接種率に換算し得ること、日本のように未使用ワクチンの買い戻し制度(*)が無いので配布用量が使用量に近似すること、などがあげられます。
*かつてわが国で集団接種をしていた頃、市町村などが大量に仕入れたワクチンの未使用分はメ−カ−が買い取っていました。この商習慣は今も続いているので、医療機関が大量に仕入れたあげく未使用ワクチンが生じる一因となっており、ワクチンの健全な流通の観点から話題になっています)   
 このようにインフルエンザの予防接種に関しては、我が国は極めて特異な歴史を有しているため、ワクチンの普及状況一つとっても比較の土台が全く異なるのです。

Quiz 4 US-ACIPの接種対象者に関する勧告の中には、「南半球へ4〜9月に旅行する者」が含まれています。これは南半球ではその時期がインフルエンザの流行期に一致するからです。ところが「熱帯地方へ旅行する者は一年中」と記されています。旅行期間が何月であろうと、接種対象になるということです。何故でしょう?
Answer 4 インフルエンザウイルスは低温・低湿環境で生存期間が長いので、温帯地域では冬期に流行が生じ、集団免疫の上昇に伴って流行は終息します。そして、翌シ−ズンの冬期に変異株による流行が再び生ずる、というパタ−ンを繰り返します。
一方、熱帯地方の高温・高湿環境下ではウイルスの生存期間が短く、地域レベルでの流行には到りにくいという状況があります。このため集団免疫が一度に上がらず、小集団での集団発生が一年中生ずることになるのです。


はじめに

 従来わが国では,保育園,幼稚園,小学校,中学校,および高等学校の児童や生徒を対象にインフルエンザワクチンの集団接種が行われていました。これはそのような集団が地域における流行の増幅の場になるという,社会防衛の考え方に基づいたものでした。ところが1980年代に接種率は急激な低下を示し,地域における蔓延防止効果を期待することは不可能な状況となりました。また幼少児童のインフルエンザに対する感受性と、小学校高学年の児童および中高生の感受性は異なるため,個人防衛の観点からも従来通りの対象者に一律の予防接種を継続することは,必ずしも適切とはいい難い状況でした。この意味からは1994年の予防接種法改正により,社会防衛の立場からのインフルエンザ予防接種を取りやめたことは一応の前進と評価されますが,高齢者などハイリスク者への接種は看過されたままでした。
 法改正(1994)の基本路線を示した公衆衛生審議会の答申「今後の予防接種制度の在り方について(平成512月)」では,予防接種制度の理念として「社会防衛という考え方についても,……各個人に対する疾病予防対策を基本とし,その積み上げの結果として,社会全体の疾病予防を図るという考え方に変化しつつある」と述べており,具体的に「インフルエンザの予防接種には,個人の発病防止効果や重症化防止効果が認められていることから,今後,各個人が,かかりつけ医と相談しながら,接種を受けることが望ましい」と言及していました。
 ただし一般にはインフルエンザ予防接種の効果に関する懐疑論が深く根付いていたため、予防接種への関心はほとんど払われませんでした。このような状況に陥る過程では,予防接種の効果に疑問を投げかけた多くの調査研究や発表が強い影響を及ぼしていました。


1.  研究の困難性

1)基本原理

 「インフルエンザの流行は時と場所によって異なる,differential occurrence by time and placeDOTIP」という研究の基本原理があります。例えばワクチンの有効性を調べる目的で,全国100カ所の小学校の児童30,000人を対象に3学期(13月)の発病を接種群と非接種群で比較したとします。通常疾病の場合ならば,十分な標本数に加え全国調査であるということから,当該調査結果は大きな説得力を有するでしょう。一方インフルエンザの調査の場合は,ある小学校では12月にインフルエンザが流行し,3学期の発病はインフルエンザ以外の急性呼吸器感染症(非インフルエンザ)による,といった現象が生じうるのです。調査期間中にインフルエンザ流行が確認されたとしても,時や地域・集団が異なれば流行株(型・亜型)が同一であるとは限りません。たとえ流行株が同一型(亜型)であっても抗原性が類似しているとは限りません。たとえ流行株の抗原性が類似していたとしても,前年の主流行株が異なれば流行のパターンも異なる可能性があるのです。
 したがってDOTIPという基本原理を念頭に置いて,単一シーズン,単一集団ごとに綿密な調査・解析を行うことが,インフルエンザ研究の基本となります。さらにインフルエンザが有する疾病特性,流行特性は,ワクチン有効性に関する研究を一層複雑なものとするため,1に示すような問題点を理解して研究を進める必要が生じます。

2)方法論上の問題

 ワクチン有効性に関する研究デザインは図1のように表すことができます。例えばB型肝炎ワクチンの場合は(図1a),医療従事者などウイルスへの曝露機会が大きく,かつ抗体陰性の者を対象とするのが一般的です。その後,抗体陽性となった接種群と陰性のままの非接種群の間で結果指標(感染・発病)の発現頻度を測定し比較することになります。この際,針刺し事故などウイルスの曝露の有無を一応知ることが可能ですし,ウイルス・マ−カ−の検査や肝機能検査により,結果指標をほぼ確実に測定できます。また最初に設定した群間で感染・発病の頻度に差を認めない場合は,対象を針刺し事故に遭遇した者,あるいはさらに汚染血が付着した針刺し事故に遭遇した者に限定し,そのなかで接種者と非接種者の感染・発病の頻度を比較するという方法も取り得ます。
 一方インフルエンザワクチンの場合は(図1b),対象者のなかに既に抗体を有する者が相当程度含まれるため,抗体陰性の者に限定しようとすると標本数が小さくなります。標本数を多くする目的で異なる集団から対象者をpoolすると,DOTIPという背景があるため得られた結果の解釈が困難となります。また接種後にも抗体価が十分上昇しない者が一部存在します。ウイルス曝露やその頻度,また曝露したウイルスの型(亜型)を,その時点で知る術はありません。さらに対象者全員についてインフルエンザウイルス感染を正確に把握することは困難であり,得られた結果は非インフルエンザによる希釈を受けます。
 以上述べたように,インフルエンザワクチンの有効性評価は極めて困難な研究課題なのです。他方,インフルエンザが身近な疾患であるせいか,有効性評価の対象として最も安易に取り組まれてきた事実もあります。


.研究の経緯

1)世界の動向表2

1)感染防止効果

 現行の不活化ワクチンの製造体制は1950年代後半にほぼ整備され,予防接種の普及が図られました。ところがインフルエンザは上気道におけるウイルスの第一次増殖が直接発病に結びつくという,特有の感染病理を示します。これはB型肝炎のように,侵入したウイルスが血流を介して標的器官(肝)に到達し,そこでの増殖が発病に結びつくという感染病理とは異なります。したがって,血中抗体は上昇させるが局所抗体産生にはあまり関与しない不活化インフルエンザワクチンの場合,感染防止効果は期待できない,という批判が生じたのです。
 このような批判を克服するため,1960年代および1970年代の研究は,主として接種群と非接種群の間で感染(ペア血清におけるHI4倍以上の上昇)の頻度を比較するという手法で行われました。無作為化比較対照試験も行われ,ワクチンの感染防止効果が証明されましたが,この効果もまた批判を受けることとなりました。即ち,ワクチン接種によって抗体価が上昇するため,その後の感染で抗体価が上がりにくいという,“law of initial value”,“negative feedback”,日本語では“抗体価の頭打ち”と呼ばれる現象が生じ,そのため抗体価の上昇のみでは接種者の感染を見逃してしまう。その結果ワクチンの有効性をoverestimateするという批判でした。これは18)に示す“masking effect”に相当します。

2)発病防止効果

 そこで1980年代からは発病防止効果を証明することに力点が置かれるようになりました。この場合の発病としては、インフルエンザウイルス感染症以外のいわゆるカゼを含んだインフルエンザ様疾患(influenza-like illnessILI)の頻度を測定することになります。即ち、そのようなカゼで希釈された指標を比較してワクチンの効果を認めれば、本当の効果はさらに大きい筈である、という考え方に基づくものです。とはいえ、非インフルエンザをできるだけ除外して結果の希釈を最小限にとどめることが、研究の最重要ポイントであることは言うまでもありません(110)。
 ILIの定義としては「流行期間中に[(鼻汁,咽頭痛 and/or咳) plus発熱]を呈した者」といったように,呼吸器症状と発熱を組み合わせたものが多く用いられます。これは@調査対象集団の最流行期で,インフルエンザウイルスへの曝露機会が多いこと,A呼吸器感染症以外の発熱性疾患をできる限り除外すること,を目的とするものです。また発熱に関しては,38℃以上,39℃以上など高いcut-off値を設定することにより,ILIをインフルエンザウイルス感染症にできる限り近付けるというような手法がとられています。
 さらに“ILI plus(抗体価上昇 and/orウイルス分離)”という定義を用いる例もあります。ただし,“ILI plusウイルス分離”は明らかなインフルエンザウイルス感染症といえますが,“ILI plus抗体価上昇”の場合は,インフルエンザウイルス感染は不顕性感染に終わり,発病自体はインフルエンザ以外のウイルスによる,といった可能性を否定できません。厳しい疾病定義には,「@発病期間中のウイルス分離,A抗体価上昇のみの場合は,発病期間中に他のウイルスが分離されておらず,かつその発病が同居家族におけるインフルエンザウイルス分離から10日以内におこったものであるか,もしくは地域における最流行期におこったものであること」とした例があります。これらの厳密な疾病定義は,インフルエンザワクチンの有効性評価における結果の測定が如何に困難であるか,またインフルエンザの臨床診断が非インフルエンザによる希釈を如何に受けやすいものであるかを如実に示しています。
 このような手法により1980年代にインフルエンザワクチンの発病防止効果が証明され、更に肺炎合併,肺炎による入院,死亡などに対する予防効果も証明されて、ハイリスク者に対する予防接種が強力に推進されることとなりました。  

2)我が国の動向

ところが我が国ではインフルエンザとカゼの混同から、非インフルエンザをできるだけ除外して結果の希釈を最小限に留める、という点に関心を払わないまま発病調査が行われました。そのため、発病防止効果を検出できない調査結果が数多く報告されることとなりました。英語圏の国々では、ColdFluInfluenza)という言葉を使い分けており、「FluはひどいColdではない」と理解されています。ところが日本では「インフルエンザはひどいカゼ」と理解されており、それがそのまま研究デザインに反映されたのです。
予防接種法の対象疾病からインフルエンザが削除されるに到った19701994年の間の研究動向をMEDLINEで調べると,“INFLUENZA and (VACCINE or VACCINATION ) and EPIDEMIOLOGY”というキーワードによる検索で,報告数は総計603件になりました(表3)。著者名から日本の研究報告と考えられるものは21件,そのうち海外の学術誌に発表されたものは5件でした。但しこのうちで純然たるワクチン有効性の研究は3件に過ぎません。一定の水準を確保した研究がいかに容易でないかを示すものでしょう。また国内でワクチン有効性に疑問を投げかける調査結果が報告され議論が沸騰した1980年代に,海外誌へ発表された日本の研究報告は一編もありませんでした。
 ここではインフルエンザワクチンを無効と結論した調査のみを批判しているのではありません。有効と結論した報告のなかにも,流行規模が大きいなどの理由により,たまたま有効性を検出できたと思われるものがあり,研究の“質”としては必ずしも評価できないものが多く見受けられます。



.インフルエンザワクチンの有効性(相対危険と有効率)

米国予防接種諮問委員会(US-ACIP)は現行の不活化インフルエンザワクチンの有効性を表4のように要約しています。有効性を相対危険(非接種者のリスクを1とした時の接種者のリスク)でみると、65歳未満の健常者では、予防接種は発病リスクを0.10.3に減少させます(有効率7090%)。高齢というハイリスク状態にあり、且つウイルスへの暴露が生じやすい施設入所の高齢者では、肺炎やインフルエンザによって入院するリスクを0.40.5に(有効率5060%)、死亡のリスクを0.2に減少させます(有効率80%)。
 従来、予防接種の効果はもっぱら有効率で表されてきましたが、近年の主要な研究報告では相対危険(relative risk: RR)が用いられるようになってきました。この相対危険と有効率の関係を理解しやすいように、接種群と非接種群の発病率が0.3対1(例えば6%対20%など)であることを仮定した状況を図2aに示します。この図からわかるように「有効率70%[(20%−6%)/20%]」という表現は「非接種で発病したヒトの70%は、接種を受けていれば発病が避けられた」という意味になります。ところが多くの医療関係者の間でさえ「100人の接種者のうち70人が発病しない」という意味に誤解されています。一方、相対危険(6%/20%)は「ワクチンは発病リスクを0.3に下げる」と表現されるように、極めて理解しやすい指標です。
 近年、ワクチン有効性の指標として相対危険を用いることが多くなってきた第一の理由は、このように有効性を理解しやすいためです。また第二に、従来の研究は接種者と非接種者の間で発病率を比較するという,コーホート研究デザインのもとに実施されてきましたが,近年,発病者と非発病者の間でのワクチン接種の有無を比較するという,症例・対照研究デザインを用いる例がでてきたことがあげられます。この場合,相対危険の推定値としてオッズ比(
odds ratioOR)が計算されるので,それをもとに再度有効率を計算する意味がなくなる訳です。第三に,疫学分野の研究者の参加により,対象者が有する特性(例えば年齢,基礎疾患など)を同時に考慮して(補正して)ワクチン効果を算出するという,多変量解析の手法(多重ロジスティック回帰モデル)が用いられるようになってきたことがあげられます。この場合も相対危険の推定値としてオッズ比が計算されます。いずれにしても相対危険は「発病リスクを0.3に下げる」と表現されるように,極めて解釈しやすい指標です。今後は予防接種の効果を論ずる場合,相対危険を用いる例が多くなると思われます。
 
ワクチン有効率に関する誤解は、我が国において深刻な影響をもたらしました。かつて学校の場で集団接種を実施していた時期、例えば550人の生徒がいる学校では、接種者500人、非接種者50人といった状況でした。前記の発病率(図2a、6%と20%)に基づいて考えると(図2b)、接種者のうち30人(5000.06)、非接種者のうち10人(500.2)の発病者が生じることになります。診療所の医師がそのような“患者のみ”を観察した場合、「40人の患者のうち30人、実に75%がワクチン接種を受けていた」という実態をもとに、「ワクチンは無効」と錯覚したのです。
 従来インフルエンザワクチンの接種は主に小児科医によって行われてきましたが、そこでは接種群と非接種群の全員を流行期間を通じて等しいintensityで観察するという、ワクチン有効性の評価に必要な環境が整っていませんでした。一方現在ワクチン接種を推進する動きは高齢者施設や老人病院の内科医が中心です。そのような環境下にいる内科医は、入所者(入院患者)の中の接種者と非接種者全員を流行期間中継続的に観察することが可能です。そして、接種者では非接種者に比べて死亡例や重症化例が明らかに少ないことを日常診療の場で確認しているのです。またその確信が翌年の接種を更に徹底させる動機付けとなっているのです。


. 有効性に関する論点

1)測定結果の誤分類

 前記のように,わが国でこれまでに報告された調査の多くが,方法論上の不備を有しているようです。それらの調査は,結果指標として “カゼ”の季節に“カゼ”,“重度のカゼ”,あるいは“カゼによる欠席”などを測定しています。そのため接種者と非接種者の間で比較する結果指標が,インフルエンザ以外の“カゼ”で大きく希釈されており,この誤分類のためにワクチンの有効性を検出できなかったと思われるものが多いのです。
 インフルエンザ様疾患の頻度を比較する場合に、非インフルエンザによる結果の希釈を避けるための重要事項は,@発病の観察期間を調査対象集団の最流行期に限定する,A厳しい疾病定義を用いる,B流行規模がある程度大きいシーズンに調査する,という3項目に要約されます。最流行期間は学校の場合11.5カ月,高齢者施設や病院などでは23週間が一般的です。国内における従来の報告の多くが,観察期間を3学期(13月),あるいは123月などの地域の流行期に設定しています。またなかには発病の観察期間を10月〜3月としている例もありますが,予防接種時期との関連からもこのような調査は論外です(ワクチンが市場に出るのは10月、接種が最も多く行われるのは通常11月です)。 
 欠席を結果の測定指標としている例もありますが,インフルエンザと関係のない欠席の除外は必ずしも容易ではありません。都市部の小学校では中学受験前の自宅学習の欠席理由として“カゼ”を報告する例が多く見受けられます。職場では本来の病欠が有給休暇で処理されることが多いため,実態把握は困難となります。いずれにしても欠席や欠勤を結果指標とした調査は,一般論としてのワクチン有効性とは異なります。このような指標のみを用いたワクチンの有効性に関する報告は,諸外国では例外的なものを除いて見受けられません。
 報告の中には発病の頻度が70%を超えるものも見受けられます。新型ウイルスによる大流行であったAsian flu時(1957)の国内の調査で,第一波による学童の発病率が40%〜60%程度であったこと,インフルエンザヨーロッパ会議(1993)においては,近い将来の新型ウイルス出現による大流行時の発病者を人口の25%と想定していること,などと比べれば,それらの研究の“質”を評価する際参考になるでしょう。調査対象集団の特性にもよりますが,結果指標の発現頻度が35%にもおよぶ調査は大きな議論を呼ぶことになります。
 非インフルエンザによる結果の希釈の具体例として,小学校における調査で観察期間を最流行の5週間に限定しても,発熱38.038.9度のインフルエンザ様疾患の頻度に関しては接種群と非接種群の間に有意差を認めず,39.0度以上のインフルエンザ様疾患についてのみ有意差を認めた結果を、私たちは報告しています(Int J Epidemiol, 1992; 21: 574-8)。 
 Govaertらは,地域の高齢者を対象として,疾病定義(結果指標)別・観察期間別に検出したワクチン有効性の度合いを比較し報告しています(表5)。疾病定義としては,血清学的インフルエンザ(感染),家庭医診断インフルエンザ様疾患,自己報告インフルエンザ様疾患(オランダの疾病監視定点−DSS−の定義,およびプライマリケア用健康障害国際分類−ICHPPC−の定義)を用いています。全流行期間(5ヵ月間)について観察すると,相対危険は各々0.500.530.690.83となり,定義が緩くなる程検出した効果は小さくなっています。またICHPPCによる自己報告インフルエンザ様疾患について得られた相対危険は有意な低下を示していません。一方最流行期間(10週間)に観察を限定すると,相対危険は0.390.400.410.74となり,すべての疾病定義で全流行期間の観察より高い有効性を検出しています。またICHPPCの自己報告インフルエンザ様疾患についても,相対危険は有意な低下を示しています。全流行期間の比較では,血清診断と臨床症状を組み合わせた疾病定義を用いた時に相対危険は0.42となり,最大のワクチン効果を検出しています。これらはインフルエンザワクチン有効性の評価において,観察期間の設定と測定する結果指標の定義がいかに大きな影響を及ぼすかの好例です。
 
なお国内の一部の臨床家の間では,診療の場での経験から,ワクチン有効性の調査において血清診断やウイルス診断を至上の結果指標と考える傾向が見受けられます。しかしインフルエンザの疫学研究は,検査データをgold standardにできる他の感染症(ウイルス肝炎など)とは状況が異なることに注意が必要です。ワクチン接種により抗体価が上昇するので,その後に感染が生じても抗体価が上がりにくいという現象(negative feedback)が生じるため,血清診断単独では研究の妥当性を確保できません。また結果指標は、全観察期間を通じて接種・非接種両群の全員を等しいintensityで観察できるものでなければならないので,発病防止効果を調べるためにウイルス診断を採用するのは極めて困難です。インフルエンザワクチンの有効性評価におけるウイルス分離の主たる目的は,対象集団におけるウイルス曝露の証明と流行ウイルスの特定にあります。

2)ウイルスの抗原変異

 現在までヒトの世界で流行した主なA型ウイルスにはA/ソ連型(H1N1),A/アジア型(H2N2),A/香港型(H3N2)という三つの亜型(subtype)があります。特にA型ウイルスは抗原構造を変化させやすく,そのような抗原の連続変異(drift)で生じた,同じ亜型でも抗原構造が異なるウイルスをvariantと称します。 
 インフルエンザウイルスが有する、抗原変異を起こしやすいというこのような性質は,当然ワクチンの有効性に影響を与えます。しかし,異なる型(heterotypic)あるいは異なる亜型(heterosubtypic)の間での交差免疫(cross-reactive immunity)はもちろん期待できないものの,heterovarianthomosubtypic)な状況下での交差免疫の存在は良く知られています。表6に示すように,ワクチン株AVictoria375H3N2)と流行株ATexas177H3N2)の間で抗原性の合致度が13%であった年でも,80%の発病防止効果を認めています。またワクチン株AChile183H1N1)と流行株ATaiwan186H1N1)の抗原性の合致度は僅か9%であるものの,38%の感染防止効果を認めています。 
 実験環境のみから考えれば,heterovariant immunityには当然限界があるため,抗原性のズレとワクチンの効果とは悲観的に判断されるでしょう。しかし,ヒトの場合は過去のウイルス曝露を通じた自然活動免疫を蓄積しているため,ワクチンによって既存抗体の“共上がり”が生じ,その抗体が流行ウイルスに対し防御的に働くという現象が生じる、と説明されています。 
 ワクチンの製造に際しては,既流行ウイルスの抗原構造の解析,進化方向の調査,非流行期におけるウイルスの追跡調査,海外の観測基地からの情報などを総合的に検討して流行を予測し,ワクチン株が決定されています。現在流行予測の確度は90%近くに達しており,前記の交差免疫を考えなくともワクチンの有効性は大きく向上しています。ワクチン株と流行株の抗原性が良好にマッチした時にワクチンは最大の効果を発揮する、ということは既定の事実ですが,インフルエンウイルスが抗原変異を起こしやすいことをもとにワクチンの有効性を総じて否定的に把える考え方は,日本のみにみられる傾向です。

3)リスクの理解と認識

 「ワクチンの有効性は,集団調査では認めても個人においては明確でない」,「接種しても罹る人がいる」といった理由により,ワクチンの有効性を否定する意見があります。ここで注意を要するのは「コインを1,000回投げた時に表が出る確率は50%であるが,今投げたコインが表である確率は0%か100%である」という点です。前者を事前確率,後者を事後確率と言っており,事後確率は常に0%か100%になります。薬剤や治療法の選択は集団データから得られた事前確率に基づいて行われており,事後確率が常に100%であることを保証する医療行為は存在しません。事後確率によりワクチンの有効性を否定することは,現在行われている多くの医療行為の合理性を否定するのと同様であり,科学的根拠はありません。 
 その他,「ワクチンの効果は60%ぐらいでしかない」といった説明が行われることがあります。このような表現は3.インフルエンザワクチンの有効性の項で述べた“ワクチン有効率”の誤解によるものです。また疾病状態の者を対象とした治療と,健康状態の者を対象とした予防とのリスク評価の差についても誤解があります。 この点の理解のため,近年広く行われているコレステロール降下療法とインフルエンザワクチンを比較してみましょう。コレステロール値が高い者にコレステロール降下剤(高脂血症薬)を投与すると,80%以上の者でコレステロール値の低下を認めます。ただしこれはあくまで“中間的指標”であり,“目的指標”はそのような患者において冠動脈疾患などの発病を予防できるかどうか、ということです。しかしこのような目的指標に関する効果を直ちに証明することは困難であったため,その代わりに極めてリスクが高い者を対象として,まず“最終目的指標”に関する効果が検証されました(表7)。狭心症や心筋梗塞の既往がありコレステロール値も高いハイリスク者を対象に,コレステロール降下剤とプセラボを平均5.4年間投与して,冠動脈疾患や心血管系疾患(脳血管障害を含む)による死亡,および総死亡といった最終目的指標に関する有効性を調べています。その結果コレステロール降下療法はこれら最終目的指標に対するリスクを0.60.7に下げることが確認され,これをもってコレステロール降下療法が広く普及することとなったのです。  
 一方インフルエンザワクチンの有効性を同様の視点から解釈すると,ワクチン接種による抗体応答率(HI4倍以上の上昇を示す者)は80%程度であり(中間的指標),表4に示すように発病防止効果も認めるし(目的指標),きわめてリスクが高い老人施設入所者においては死亡のリスクを0.2に低下させます(最終目的指標)。しかもこれらは,1回のワクチン投与後僅か6ヵ月程度の間に認めるリスク低下なのです。このように正しいリスク評価の立場からみれば,現在使用されている種々の薬剤と比較しても、インフルエンザワクチンの有効性が“あり/なし”という質的な面のみならず,予防効果の大きさという量的な面からも疑う余地のないものであることが理解できます。

おわりに

 我が国ではインフルエンザワクチンの効果について相異なる結果が多数報告されてきたため,有効性に関する懐疑論が一部に深く根付いています。但しそれらの報告の多くは,結論が有効か無効かに拘わらず,研究の“質”を十分に満たしていないため,有効性を判断する根拠には必ずしもなり得ないのが実情です。
  更にインフルエンザの専門家と称される研究者においてさえも,この懐疑論を明確に否定するのに十分な論拠を必ずしも有していないのです。それどころか不鮮明あるいは不適切なコメントにより,懐疑論を一層増幅させる役割を果たしている例さえ見受けられます。
  インフルエンザワクチンの効果と接種の目的を正しく理解して、予防接種の健全な普及を図ることは喫緊の課題です。現在は「ハイリスク者にインフルエンザワクチンの接種を勧めることは医師の義務である」とまで言われる状況になっています。科学的知見に基づいた高水準の議論が展開されることを期待したいと思います。


   図1   

  図2   
                


   表1   

   表2   

   表3   

   表4   

   表5   

   表6          

   表7       



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