近畿先天代謝異常症研究会 事務局
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最新更新日 2023.5.24

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研究会からのお知らせ
研究会抄録集 事務局・その他

<特別講演>

 

「私の目で見たライソゾーム病研究の変遷」

東海大学未来科学技術共同研究センター、糖鎖工学研究施設

鈴木 邦彦 先生


1960年6月中旬、その前年医学部を卒業して、一年間のインターンを済ませたばかりだった28歳の私は梅雨の横浜港から 安保デモ酣の日本を後にしました。3-4年で帰って来るつもりだったのに、そのまま46年間、米国生活をすることになるなどとは、その時は夢にも思ひませんでした。行った先は、まだ存命だったアインシュタインの名前を借りて、その4年前に発足したばかりだった New York、Bronx の Albert Einstein 医科大学、目的は臨床神経内科のレジデント研修でした。結局臨床神経内科の研修を三年間やりましたが、元々、医学部に入ったのは医学研究をやりたかったからで、臨床医になりたかったわけではなかった私は教室の研究テーマであった、Tay-Sachs 病、それに関連した遺伝性神経疾患への臨床・病理・生化学を統合したアプローチに強く惹かれました。また、教室主任だった Saul Korey にも共感するところ多く、彼が数年後に突然、45歳の若さで膵臓癌で亡くなってしまった後、彼の研究テーマを継いで、暫く、そのまま、教室に残って遺伝小児神経疾患の生化学的研究を続けることになりました。結局、1969-1972 にペンシルバニア大学、72年から再び Einsitein に戻り、1986年からはノースカロライナ大学、と転々としましたが、基本的には一貫して、所謂ライソゾーム病、特にスフィンゴリピドーシスとそれに関連した脳の糖脂質の基礎研究に身を窶することになりました。
遺伝性小児神経疾患の生化学分野のこの45年間の変遷を振り返ってみますと、三つの大きな期間に分けることが出来ます。私が何も判らずに飛び込んだ1960年代までは、化学構造、定量分析に基づいた研究が主体で、私の駆け出し時代の仕事も、ご他聞に漏れず、分析化学でした。然し、それは間もなく1960年代の終りから、1980年代の初めまで、酵素学を主体とした代謝研究の時期に移行しました。そして、何方もご承知のやうに過去20年間は研究の脚光は専ら分子生物学に当ってゐます。此処では、その期間の私の研究を例として歴史的事実としての分野の変遷を少し振り返って見たいと思ひます。
現在は分子生物学の全盛期です。少なくとも遺伝性疾患の研究分野では、分子生物学に非ざれば人に非ずの風潮さへあります。然し、はっきり言って、それ以前の構造化学、分析化学、酵素学、などに比べると、分子生物学は技術的には単純で、容易なものです。これは、扱ふ物質が核酸であって、どの遺伝子も化学的には同じものであることに由来します。この分野の最近の進歩は目覚しいものがあります。それと共に、私みたいに、46年間の流れを見てきた人間は現在の潮流に一抹の危惧を抱かざるを得ないことも事実です。遺伝子は生命現象の裏にあって、全てをコントロールしてゐるかも知れませんが、実際に細胞、臓器、個体の機能を直接司ってゐるのは蛋白であり、脂質であり、糖鎖であり、更には、もっと小さな分子、アミノ酸、塩などであって核酸ではありません。ヒトゲノムが一通り読めたと言ふ事は 大きな区切りには違ひありませんが、それはヒトの生命の青写真が手に入ったといふに過ぎません。青写真だけでは出来上がった製品を充分に理解することは出来ないのと同じで、核酸のみから生命のしくみを理解することは出来ません。人間が直接経験できる現象からスタートして、やっとのことで核酸・ゲノムといふ折り返し点に到達した「生命現象を理解する」といふマラソンは、これから、今までの歴史を逆に辿って、同じやうに困難で、時間のかかる帰り道を戻って行かなくてはなりません。私が危惧するのは、それなのに、最近の研究者の意識の中には、極端な言ひ方をすれば、5年以上古い文献は存在しないに等しいといふ傾向があることです、これは、先人の仕事に対する尊敬だけの問題ではなく、屡々、既に何十年も以前にやられて、確立されてゐる事を時間と労力をかけて繰り返す結果にもなります。構造、分析、代謝、酵素、蛋白の時代に築きあげられた、核酸に比べると遥かに複雑な手技が忘れられかかってゐます。遠からず、又必要になるものであることを考へると、大変、非能率的で勿体無いことです。 最後に、現在の滔々たる流れ、―― サイエンスは 人類の福祉のためにやるものである、――といふ命題は異論を提起する余地がない程に、誰にとっても自明のことなのでせうか?

サイエンスは哲学、文学、音楽、芸術などと共に、文明社会の文化活動の一つであって、その本来の目的は実利からは独立して、自然が如何に機能してゐるかを知ることであり、その結果として得られる 人類の福祉への貢献は、極めて望ましくはあるが、サイエンス本来の目的から見れば副産物に過ぎない、と言ふ見地は果して存在意義がないものでせうか?



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