教育、研究の経過と将来に対する抱負
寄生虫学 金子明

 1980年夏、弘前大学医学部学生として私は、チェンマイに旋毛虫症調査中の山口富雄先生を訪ねました。さらに岩村昇先生のご紹介でカトマンズの結核対策活動に参加し、それらの地で見て感じたものが私の原点と言えます。卒後臨床研修を経て山口教授門下寄生虫学教室に入れて頂きました。バンコクにおける熱帯医学研修の後、石井明先生のご推薦により北スマトラ島におけるJICAマラリア対策事業で働く機会を得ました。誠に未熟な寄生虫学専門家でしたが、現地語を使い流行地患者に接した時、自分の血が沸き立つのを覚えました。スマトラの2年間にご指導頂いたWHOマニラ松島立雄先生からヴァヌアツに赴任しないかとのオファーを頂いた時は嬉しくかつ大変光栄に思いました。
 1987年夏、インドネシアから帰国した私はその2ヵ月後にヴァヌアツに向い、WHO malariologistとして7年間島嶼マラリア対策に現地の人々とあたりました。
 1993年WHOはマラリアサミットと呼ばれる一連の会議を召集しました。当時国際社会は1955年開始のマラリア根絶計画を失敗と総括した後、新たな方向性を見出す必要がありました。私はそれまでに得ていた経験を携えニューデリーの会議に参加し、そこでストックホルムから来ていたカロリンスカ研究所のAnders Bjorkmanに出会いました。彼との議論を通じて、それまで現場しか知らなかった自分は科学的事象把握の必要性を痛感させられました。手持ちのデータは今後、研究展開の基盤となりうるとAndersから助言を頂き、それを心に刻み込みました。
 1995年、JICAから移られていた小早川隆敏先生のお誘いを受け東京女子医大勤務となり、カロリンスカとの共同研究が現実のものとなりました。最初に手がけたのはヴァヌアツのマラリア疫学です。当地は68島に120の言語集団からなる20万人が暮らしています。マラリアは東南アジア島嶼からメラネシアのパプア・ニューギニア、ソロモンを経てヴァヌアツまで流行しますが、更に東南のポリネシアはハマダラカ属蚊が分布しないため伝播のない地域です。太平洋島嶼において主要命題である人類起源とその特異なマラリア分布とがいかに関連するのかについて私は根源的興味を抱いていました。WHO時代に蓄積した島ごとのデータをもとにOxford大学のグループと共同でマラリアがG6PD欠損症を選択しているという「マラリア仮説」の実証を試みました。
 保健医療が未整備な高度マラリア流行地において住民が生存していくうえで、加齢に伴い獲得される感染免疫は成人において重要な役割を担います。しかし免疫形成が未熟な小児においては化学療法剤による早期治療が死を防ぐ要です。我々は薬剤耐性原虫に対する代替薬proguanilはチトクロームP450(CYP2C19)による代謝産物に抗原虫作用があるとされていたことに注目し、低代謝者(PM)の患者では薬効がないという仮説の検証を流行地で試みました。この研究計画は研修医時代にお世話になった石崎高志先生との議論から生まれたもので、それを熱帯病に関する臨床薬理分野で世界をリードしていたカロリンスカに持ち込みました。PMの割合は欧米3%、東アジア20%とされていましたが、ヴァヌアツ現地調査を開始し、それが70%にのぼる島があることを見出し、Lancetに報告しました。多くの臨床薬剤が白人における代謝を基準とし開発される現況において、流行地熱帯病治療全般における本研究の重要な医学的意義が認められた次第です。
 島嶼内マラリア原虫伝播は媒介蚊によりますが、島嶼間の原虫拡散は人の移動がもたらしてきました。ヴァヌアツ島嶼モデルにおけるこれら三つの生物種多型についての検討を、進化とマラリア対策という観点から様々な共同研究者と展開しました。特に原虫表面抗原多型が島嶼において極めて限られ安定していることをScienceに報告しました。この知見は疾病重症化およびワクチン開発に重要な意義を有すると考えられました。さらに海外からの博士課程留学生受け入れに伴い、研究対象地域がパプア・ニューギニア、インドシナ、アフリカへと人類拡散道程を遡る形で、島嶼対大陸という比較を持って拡がって行きました。
 東京女子医大では医学部学生に対する寄生虫学および熱帯医学に関する講義、実習、チュートリアル教育を担当しました。とりわけ6年生時クラークシップの選択学生をヴァヌアツ現地調査へ参加させる試みは将来への職業的動機付けという点において大いなる効果があったものと確信します。カロリンスカに移ったあとは、同様な試みを各国からの大学院生に対する感染生物学プログラムにおいて継承してきました。
 隔絶された小島嶼においてマラリア撲滅が可能か?私が最初にヴァヌアツを訪れた時以来抱き続けている中心命題です。WHO在職中の1991年に、この検証を最南のアネイチュウム島において、集団治療と薬剤処理蚊帳等の組み合わせにより開始しました。その後8年間の継続調査を経て、”Malaria eradication on islands”としてLancetに発表しました。この仕事は現在進行する国際社会の新たなマラリア根絶への取り組みの契機となりました。アネイチュウム島における調査は、根絶維持可能性という観点から現在なお続いています。経済開発が遅れる熱帯アフリカにおけるマラリア撲滅はグローバルな根絶にいたる究極の課題と目されます。アネイチュウム・プロジェクトを原点として、ケニア・ビクトリア湖の高度マラリア流行島嶼を対象とした撲滅計画をスェーデン・カロリンスカ研究所、長崎大学熱帯医学研究所、ロンドン熱帯医学校と共同で進めつつあります。
 マラリアをはじめとする寄生虫疾患は地域特異的に捉える観点が要です。固有の環境のなかで、人・寄生虫・媒介動物が各々の生存戦略において干渉しつつどのように進化してきたのか?その結果が現在いかに対策・治療に影響を及ぼしているのか?という命題は今後も私の研究方向性であるとともに寄生虫学教育においても中心になると考えます。フィールドからものを観て、考えそして行動できる人材を日本から育てて行きたいと所望する次第です。