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入局体験記

他施設から当科へ入局された先生

「多様性×寛容×第二内科」

 私は大分大学を卒業し、初期研修2年間とその後の後期研修2年間を大分県で行いました。30歳を前に、純粋な都会への憧れ、そして医師人生で一度は学問に触れてみたいという思いが芽生え、「そうだ 大阪 行こう」と一念発起し、5年目より第二内科の門を叩きました。病院見学をすることもなく入局した私でしたが「寛容」に受け入れていただけました。第二内科は糖尿病内科,腎臓内科および内分泌・骨・リウマチ内科から成り、医局員は様々な大学出身者で構成されています。また,他学部を卒業されてから医師になられた先生、お子様を育てながら入局された先生、他科での経験を積まれた後に入局された先生など経歴は様々で、「多様」な診療を「多様性」に富む先生方と一緒に取り組むところに魅力を感じております。
 6年目には大学院に進学いたしました。第二内科の大学院は広く門戸が開けられており、多くの先生方が進学されております。自分に論文等書けるのだろうかと不安になりますが、同僚と切磋琢磨し、そして指導医の頑張り!?もあり皆さん無事に学位を取得されております。臨床研究や基礎研究、なかには関連病院での臨床研究で学位を取得される先生がいたりとこちらも「多様」であり、関連病院にも研究指導いただけるスタッフが豊富にいることも第二内科の強みかと思われます。
 医師人生一様ではなく、大分からひょんなことで大阪に来た私ですが、充実している背景には多様性を寛容の精神で受け入れてくれる第二内科の存在も大きいかと思っております。

令和元年11月 T.S.

generalistになるために

 私は東北大学医学部を卒業し、実家のある関西という事で京都の洛和会音羽病院で2年間の初期臨床研修を行いました。3年目より5年間、田附興風会医学研究所北野病院 腎臓内科で修練を積み、医師8年目より大阪市立大学代謝内分泌病態内科学・腎臓病態内科学講座に入局しました。
 大学生時代より、私にはgeneralistになりたいという強い希望がありました。また6回生の頃には、腎高血圧内分泌内科の医局に出入りしていました。このような経緯から、将来的にはgeneralistとして活躍しつつ、腎臓内科、内分泌内科のいずれかの専門性を極めた医師をめざす事とし、まずはgeneralistとしての修練を積むべく洛和会音羽病院で研修医時代を過ごす事となりました。研修医時代で色々と見てきた中で、「腎臓内科ならば腎機能が悪いという理由だけでどんな患者さんでも回される。Generalistになるために、腎臓内科医になろう」と決心するに至り、どうせなら腎臓内科としての専門性もしっかり鍛え上げてくれるような病院に、という事で3年目より北野病院でお世話になる事となりました。
 北野病院時代の5年間は、腎臓内科としての専門的な疾患も、また当初期待していたgeneralistとして扱うべき疾患も、本当に多く経験でき、臨床医として本当に大きく育てていただいたと感じています。そうして臨床経験を積む中で、私自身に対して2つの「物足りなさ」を感じるようになりました。1つめは、目の前にある腎疾患に専門的な対応する事はできるものの、もっとより深い病態生理学的な機序を説明できない事、2つめは、腎疾患以外の疾患への対応は、あくまでもその疾患の専門医としての対応ではなく、generalistとしての普遍的な対応止まりである事でした。疾患の機序、およびその疾患への対応をにつきより深く知る、そのために私は腎疾患についての基礎研究を行う事、および腎臓内科以外にも幅広い分野にかけての様々な専門の先生方が集う場に身を置く事が私の更なる成長のために必要であろうと考え、現在の所属である大阪市立大学代謝内分泌病態内科学・腎臓病態内科学講座にお世話になる事となりました。
 入局後、稲葉雅章教授の計らいで腎臓と免疫についての基礎研究に従事させていただき、腎疾患の成り立ちにつきそれまでより深い理解を得ることができました。また、単に臨床的な面を鍛えるだけでなく、学術的な面をより突き詰める事が、より自身の医師としての能力を伸ばせる事を学ばせていただきました。生活習慣病を中心とした幅広い領域に精通した多くの先生方と接する事で、今までは腎臓を中心にしか物事を診ることができなかったものが、臨床的な面で幅広い領域への理解を深めることができました。何より、医局という「One team」の中で、諸先輩方や後輩たちという多くの仲間を得ることができ、これは私の心の支えとなっています。
 入局前の自分が想像もしなかった世界が拡がり、その中で仕事をしている事に、今はとてもワクワクした気持ちでいます。仕事は大変な部分もありますが、それが今後の自身の成長につながると信じて取り組めていると感じます。

令和元年11月 Y.T.

市中病院勤務を希望していた私が卒後七年目に大学に戻った理由

 私が第ニ内科に入局したのは2011年のことです。他のフレッシュな新入局員達と同じく卒後三年目での入局ではありましたが、再受験で医学部に入った私は当時すでに軽く三十歳を越えておりました。
 入局後は一年間、大学病院で勤務を行いました。同期入局者が多かったということもあり、とても居心地の良い一年でした。ですからそのまま大学院に進学しようという考えも無かったわけではありません。しかし前述の通りすでに三十台も半ばに差し掛かっていた私は、研究よりも実臨床の経験を積むことを優先したいと考えていました。その際、どうせならば専門性よりも広くcommon diseaseを、ということで市中病院での勤務を希望致しました。結果、卒後四年目で市中の総合病院への配属が決まりました。
 勤務先の病院では一般内科として入院診療や外来、救急業務に携わりました。右も左も分からない新米医師ですから、特に最初の一年は体力的にも精神的にも辛かったように記憶しています。しかし一年が過ぎて徐々に日常の業務に慣れてくる頃、ふと専門分野を持っていないことに物足りなさを感じるようになりました。決して一般内科の業務に飽きたわけではありません。ただ、専門分野(得意分野?)を持てばもっと自信を持って日常診療に臨めるのではないかと考えたのです。
 何らかの専門分野を持ちたかった私は、かねてから興味のあった腎臓内科専門医の資格を取りたいと考えるようになりました。しかしそのためには認定施設で勤務する必要があります。そこで私が真っ先に考えたのは大学病院に戻ることでした。大学病院であれば一般的な腎疾患だけではなく、腎生検やその先の腎病理まで経験することができます。当時、大学病院の腎臓内科では石村栄治先生を中心に多くの若手の先生方が精力的な診療を行っていたため(もちろん現在も変わらず精力的ですが)、私は迷わず大学に戻ることを希望致しました。
 もう一つ、大学に戻ろうと考えた理由に「研究」があります。臨床経験を積むことばかりを考え、研究の道を覗くことすらしてこなかったことを後悔していたのもまた事実です。どうせ大学に戻るなら同時に研究も経験したい、という欲張った思いから、最終的に大学院への進学を決意致しました。
 私が大学へ戻ったのは卒後七年目のことです。その頃にはさすがに知った顔も少なくなり、しかも七年目とは言え年齢だけは中堅の医者並みであったため、当初は相当浮いた存在になるであろうことを覚悟していました。しかし実際には先輩医師も後輩医師もみな温かく迎え入れて下さり、また同年代で大学に戻ってくる同僚にも恵まれたため、非常に有意義な時間を過ごすことができました。現在は無事に専門医資格と博士号を取得させていただき、再度市中病院に出て日々精進しております。今から振り返ってもなお、一度外の世界を知った後に再び大学に戻って得た経験は何事にも代え難いと思う次第です。

令和元年11月 Y.K.

他大学から市大に入局して

わたしは帝京大学医学部を卒業し、同大学病院で研修医を経て、同大学の腎臓内科大学院に進学いたしました。大学院3年次に関西の大学で卒業論文のための基礎研究を行うお話をいただき京都大学の創薬チームで研究させていただくこととなりました。約3年間は実験をする日々を送り卒業には間に合いませんでしたが卒業論文をまとめて、博士号を取得することができました。一方で3年間もの間、臨床の現場から離れていたため、臨床にもどれるかという漠然とした不安がありました。関西出身ということもあり稲葉教授と前大学の内田先生のご厚意により、2015年から第2内科で研究医として従事させていただくこととなりました。教授に初めてお会いしたときには臨床を離れ、不安な気持ちであってもここで一緒に勉強したらいいとおっしゃっていただけた事を今でも覚えております。市大では積極的に腎生検をさせていただいたほか、妊娠高血圧症候群、サルコイドーシス等はじめて経験する症例にも恵まれました。また、これまで糖尿病治療に従事した経験はほとんどなく、インスリンもほとんど自分で処方することもなかったですが、第2内科に入局し糖尿病のことを学べたことも今の職場で糖尿病の治療を行う際に大変役立っております。また、臨床研究にも携わらせていただき、改めて研究の面白さや大変さを実感しました。振り返ると、臨床においても研究においても一生懸命されている先生方にいつも刺激をいただいていたように思います。そして何より、さまざまな症例を経験する中において、いつも頼りになる上司の先生をはじめ、同期、後に支えられていたことは入局してよかったと思う最大の点であると考えております。

令和元年11月 S.U.