大阪公立大学大学院医学研究科
整形外科学Dept. of Orthopedic Surgery, Osaka Metropolitan University Graduate School of Medicine

第4代 山野慶樹 教授

整形外科とアイデンティティ (整形かわら版 No.51)

整形外科とは確かに魅力的な名称であるが、頭部顔面、内臓器を除く脊椎・四肢の漠然とした部分を対象とする広い身体部分を扱う科で、眼科、心臓外科の様な明確さがない。大きくは、脊椎外科、関節外科、手の外科、小児整形、骨折・外傷に分けられるが、近年の医学の進歩に従って専門分野の進歩も著しく、整形外科医として広くall roundにこなすことは難しくなってきたのも事実である。しかし、整形外科を外科の如く細分化する動きはない。対象とする分野が広いこともあって境界領域も多い。

脊椎外科は脳外科医の充足から脊椎へ進出してきており、大学によっては競合あるいは乗っ取られかねないところもある。彼らはマイクロサージャリー手技に熟達していて、神経に対する取り扱いに優れ、整形外科の骨に対する扱いと対称的である。整形外科医がマイクロ手技を習熟すれば何ら脅威にはならないであろう。

関節外科分野の慢性関節リウマチは従来より整形外科で殆ど扱われていたが、リウマチ学会との確執があり、整形外科学会の関節リウマチの認定医は宙ぶらりんの状態にある。欧米の様に、内科的なリウマチ医と手術を行う関節外科医に分かれるのか不透明である。

もう一つの大きな分野である手の外科領域はこれもマイクロサージャリー手技を身につけた形成外科医の進出がある。マイクロサージャリー手技を必要とする分野は、形成外科医の独壇場になる可能性もある。

このようにみると、整形外科のアイデンティティはそれでは何であろうか。歴史的経緯からみると、骨折・外傷にゆきつくであろう。整形外科医は「骨折に始まって骨折に終わる」といっても過言ではない。この骨折・外傷は整形外科の各分野に共通する基本を含んでいる。骨折の治療は保存的治療から観血的治療を考える過程、各々の治療法を選択する基本はいかに早期に良好な機能回復が得られるかにある。この原則は整形外科の各分野が先端的に発展しても決して変わることのない原則であろう。

整形外科医たるものまずは骨折・外傷の治療に精通せねばならない。

ここで気になるのは、「整形外科」のネーミングで古くから議論のあるところでわかり難く、実際とは距離があるのは否めない。若い人達は美容整形(正しくは美容外科)と思っているのが殆どである。巷の「整骨院」「接骨師」はこの点、実に的を射ているのに、骨折を扱うのにはたして整形外科でよいのか、「整形外科」が骨を主体とした運動・支持器を扱うということが広く世間に認知されるには「百年河清を待つ」に等しい思いがする。

20世紀後半の整形外科の発展 (整形かわら版 No.52)

世紀末を迎えたが、整形外科は私どもが入局した1960年代からみると隔世の感がある程発展している。確かにその頃の経験の科学といわれる医学から整形外科も科学的、理論的になってきて医科学といわれる分野が発展し、さらに手技もマイクロサージャリーの導入で精密、愛護的になり21世紀に向けて最小侵襲手術へと発展している。

画像診断では1970年代の骨シンチから1980年代のCT、さらにMRIは画期的で組織の変化まで一目瞭然となりこれまでの多少invasiveな検索が影をひそめた。また高齢者社会に対応して骨塩定量が進歩した。

骨折外傷領域では内固定材は体内に入れても問題のない種々の不銹鋼が出て間もない頃で、経験によるところが大であったが、60年後半にスイスでAOグループが工学者と共に開発したAO骨折固定材及び方法は、材料力学的およびバイオメカにクス的検討に基づくもので、それまでの骨固定法の考え方を一変させ、これを契機として生体力学的な、Herbert screwに代表される理論的な種々の新しいアイデアの骨接合器材が出現した。またEnder釘に代表される固定法は骨癒合におけるバイオロジカルな面の重要さを考えさせてくれた。近年はマイクロストレスなどの骨癒合促進法や骨置換性の骨接合用ペーストが開発され、21世紀の新しい治療法として発展が期待されている。

関節外科領域ではCharnleyなどによる人工股関節置換術の出現はそれまでの骨切り、関節固定の治療ととって代わり、生体材料、バイオメカニクス、関節機能、潤滑などの研究に波及し、各関節の人工関節の開発に及んだ。われわれの教室では全国に先駆けて導入し、研究も盛んで、これは大西先生のHDPのcross-linkとなって世界の注目をあびている。また日本で開発された関節鏡視が1970年代から診断から治療手技に用いられるようになった。

豊島先生らによる手首切断再接着の世界第一例の報告と時を同じくして、1962年にJacobsonによる1mm径の血管が吻合可能という実験的報告は、このマクロサージャリー手技を用いた肢指再接着、組織移植に発展し、手の外科や脊椎外科ではマイクロサージャリーを用いてより愛護的手技が行われるようになった。

脊椎外科領域では側弯症のHarrington法を嚆矢とし、怒濤の勢いで種々のinstrumentが開発され、初期の後方インストルメンテーションから前方、さらにペディクルスクリューに進んだ。21世紀に向けたminimum invasive surgeryとして胸腔鏡、腹腔鏡を用いた収視鏡下脊椎手術が他の分野に先駆けて発展している。

手の外科領域では、1960年代にそれまで治療法がなかった根引き抜き損傷に対して教室の松田先生と東大が同じく神経移行術で肘屈曲の再建を行った。腱癒合の解明から腱縫合法改良でno man's landがなくなり、さらにマイクロサージャリーの導入により、再接着からtoe to finger transfer、母指再建、神経縫合法等が発展した。

電気生理学的診断法として用いられていた筋電図から1970年代には体性感覚電位、脊髄波の導出が可能となり、教室では多くの研究が尖鋭的になされ、脊髄・末梢神傷病の診断に利用され、術中モニタリングで脊髄に対してより安全な手術が行われるようになった。

腫瘍外科では診断技術の進歩で新しい分類、疾患が出てきた。遺伝子診断が進歩しつつあり、悪性腫瘍、特に骨肉腫は3~40年前までは殆ど救命できなかったが、化学療法の進歩で75%以上が5年生存可能となり、治療においてもマイクロサージャリーやイリザロフ法等を用いた種々の方法による患肢温存が行われるようになった。

創外固定は1980年頃から世界的に種々のものが開発され、これを用いた変形の矯正と画期的なアイデアである仮骨延長、tissue neogenesisが世界に広まった。

小児整形外科では母子栄養、予防法の普及等で、先天股脱、内反足などこの30年間の小児疾患の減少は特筆に値する。先天股脱の保存療法で長く用いられたLorenzギプスは60年代からPavlikのリーメンビューデルの動的固定に移り、Colonna手術からSalter手術、Chiari、RAOなどの関節軟骨を温存する手術になった。

スポーツ医学の分野ではトレーニング法の改良があげられ、鏡視下手術が普及し、70年代まで治療困難であった十字靱帯再建術、肩関節修復が発展した。

医学の進歩は加速されているように見える。21世紀には整形外科はどの様に発展するのであろうか。

21世紀の整形外科 (整形かわら版 No.53)

20世紀後半から21世紀にかけ時代と共に整形外科の患者層は大きく変化し、高齢社会を迎えて整形外科はこの高齢化の波をまともに受けている。

私が卒業した1960年代は骨関節結核、小児疾患が多く、整形外科はいわゆるKleinfachから脱却する項で、慢性変性疾患や交通事故が増加傾向にあった。この頃の平均寿命は65~70才であったが、現在は女性は85才となっている。この間の十数年は青壮年期のそれではなく、この年代の人体のあらゆるパーツはポンコツ状態にある。命にかかわらない整形外科の対象となる四肢、脊椎はQOLを保つために保存的治療、さらには姑息的手術、再建手術、パーツの交換など整形外科は多忙となっている。大学では外科2科のを合わせた倍以上の患者が整形外科に押し寄せているが、どの病院でもこの傾向は同様であろう。外科は命にかかわる手術になるため限られるが、整形外科はQOLにかかわるため寿命が延びれば、それ以上に患者数は増加するが、寿命の伸びた十数年間のQOLには整形外科医が大いに関わっているのである。高齢社会が続く限り、この傾向は変わらないであろう。既に一般病院では患者数、その忙しさは内科、次いで整形外科が主体となっており、昔日の内科・外科の旧態勢はなく、整形外科医の要求は多い。このことは市民病院など公立病院でも同様であるが、上層部にはこの様な考えは浸透しておらず、旧態依然で赤字の主因になっている。一気に解決することは難しいが、これが今はやりのリストラに通ずる道であると思われるが、今暫くは整形外科医が、それぞれに地道に努力を重ねる必要があろう。

同時にこの様な時代にこそ、整形外科のidentity を確立させるべきで、脊椎、関節外科、外傷、さらには手の外科、小児整形外科など運動・支持器である整形外科全般に亘って、オールラウンドに対応できる整形外科医が輩出してほしいものである。

論文を書くことの重要性 (整形かわら版 No.54)

“年々歳々花相似たり年々歳々人同じからず”で、今年も新入医局員が入った。我々指導者側は花の様に同じことを例年の如く行っているのであろうが、新入医局員には目新しい新鮮な思いがある。スーパーローテイト方式の導入が数年のうちに完全に行われるが、これは何も昔のインターンの復活であってはならない。インターン制度のように何の目的意識もなく各科をローテーションするのではなく、まず将来自分の目指す科に入局し、その科の特徴を身につけた上で関連する科で研修することは医学を広く知る上でストレート方式より有用で、将来の発展に多いに役立つ。この辺りの事情が余り理解されておらず、今後も紆余曲折があるであろう。

鉄は“熱い間に打て”の格言通り、新入医局員の研修も最初が大切で、これが欠けると本人が自覚しない限り殆ど取り返しがつかない。単なる臨床研修も重要であるが、この多忙の時期にこそ理論づけが必要で、暇を見つけて臨床研究、例えば症例報告でも、関連論文を渉猟し、推敲して書くことが役に立つ。知識が纏められ、周辺領域が自分のものとなり、新たな疑問点が出てくればすばらしい。若い人はともすれば手術など臨床の実際に走りがちであるが、論文を書き論理的に考え、知識を広めることで診療意欲も沸く。整形外科医としての診療能力はグレードアップする。単なる症例報告といわれるが、先端的なインパクトファクターの高い研究よりも症例報告、地道な臨床例の研究が、その人の臨床能力を高めることは確かである。

学位論文を物にすることは巷にいわれているような足についた米粒的発想ではなく、真面目に努力した研究であれば研究の方法論から実技、結果の分析からの新しい知見、考察における参考論文の読破、博引旁証、推敲等の春秋筆法の過程は論文の評価云々は別にしても、以後の論文を書く上での道程の通るべき関所といえる。この関所を通過した人の中に精根尽き果て金輪際研究は御免被るという傾向があるのは残念で、どんな論文も最初から出口成章、意到随筆は誰しも難しく感ずるが、むしろこれを一里塚としてさらに進んでもらいたいものである。

以上の様に論文を書くことは知識をまとめるだけでなく、新しい考え、知見を見いだし、自らを進歩、高揚させ、新しい知見を広げる自己表現であり、これを怠っては旧態依然であり進歩がない。私は同門の該当者を各専門学会の評議員推薦に努めているが、立派な仕事をしている人が、評議員推薦に値する論文がないのを大変残念に思う。学会活動で刺激されることはその人の能力を高め新しい展開発展につながり、後続する人を鼓舞するものである。

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