留学報告

平成21年卒 肩関節グループ 平川義弘

2019年4月より2020年1月までフランスに留学して参りました肩グループ所属、平成21年度卒の平川義弘です。留学先のフランスでは2カ所の病院に滞在しました。2019年4月よりフランス第2の都市リヨンにありますCentre Orthopedique Santy (以下、Santy)という病院で、Gilles Walch先生、Lionel Neyton先生に御指導頂きました。また2019年7月からは、かの有名なモン・サン・ミッシェルの窓口になりますレンヌという都市にあるSaint-Gregoire hospitalという病院にてPhilippe Collin先生のもとで6カ月間勉強させて頂きました。そして、年明けに再度リヨンに戻りSantyで研修させていただきました。前年度の同門会誌でも少し述べましたが、フランスは反転型人工肩関節置換術、Reverse Shoulder Arthroplasty(以下、RSA)の生誕の地であり、そのルーツを探る留学生活でした。また不安定性肩関節症に対するLatarjet法が生まれたのもフランスであり、臨床的な手技と、そのマインドや歴史的背景を少しでも獲得することが今回の留学の目的でした。

今回の留学記は、これから海外留学を考えておられる若い先生方へのメッセージとして書かせていただきます。この留学を振り返ってみると色々と思い悩むところがありました。まず、留学に至るまでに最も苦労したのがビザでした。もちろん最初からビザを取得するのにはある程度苦労すると、予想はしていたのでしたが、想像以上に大変でした。これから留学を考えられている先生方は、イギリスを除くヨーロッパ圏には3カ月までの留学に留める事をおすすめします。(イギリスは比較的簡単に6カ月まで滞在できるようです。EU離脱などのごたごたでどうなるかはわかりませんが、、、)私は過去の情報をもとに、考え抜いた上で、ビザ専門の業者に協力をお願いして観光ビザの取得を目指しました。(研究者ビザは、公的な病院でないと必要書類を発行する権限がないようです。)過去の実績ではまずまずの成功率だったからです。しかし、年々状況は悪くなっているようでして、私の観光ビザは、渡仏1週間前の3月末に不運にもリジェクトされてしまいました。(観光の合間にフランスの学会に参加するという設定にして、行きもしない学会の参加費を20万ほど払いましたが、だめでした。)なので、ひらきなおって最初はビザがない状態で渡仏し、フランスに滞在中になんとかビザの取得を目指すという無謀な計画でのフランス留学のスタートとなりました。しかし、1つ目の研修先で多方面とやり取りしながらビザ取得を目指すという非常に辛い状況で、ビザの事を毎日考えていました。インターネットでみた情報をもとに書類を持ち込んで、フランスの移民局に突撃した事もありました。(窓口ではフランス語しか通じず当然玉砕しました。)また研修中に、多方面とのやり取りのためや面会のために病院を休ませてもらうことも多々ありました。

渡仏3カ月目に、いよいよビザの取得が難しいという局面になったとき2つ目の研修先から「もうお前は来なくていい」と言われた時は本当に絶望し7月からの留学を諦めかけました。しかし、最後まで諦めたらいけないという強い励ましを多方面からいただきまして、なんとか奇跡的に1年間滞在可能な研究者ビザをいただく事ができました。(本当に偶然が重なって、2つ目の病院先の先生のツテで、大学病院の教授を紹介していただき、その大学に滞在するという形での研究者ビザをいただく事ができました。)しかし振り返ってみるとこのビザのゴタゴタのせいで、多大な時間とお金と気力を無駄にしましたので、ヨーロッパ圏に留学する時はビザの事を考えずに滞在できる3カ月以内を強く推奨いたします。実際ヨーロッパ圏以外から留学に来ているフェロー達は、軒並み長期ビザがとれず、3カ月以内の滞在でした。さらに僕みたいに1年も滞在するフェローはいませんでした。しかも時代の流れもあって年々厳しくなっているので、ビザの取得要件が緩和されることはないでしょう。もし万が一ヨーロッパ圏での3カ月以上の留学を強く希望される場合は是非とも平川までご一報ください。相談にのります。必ず力になります。

さて、7月からのレンヌでのPhilippe Collin先生のもとでの留学ですが、研究者ビザが取れたこともあって家族で渡仏しました。(研究者ビザがとれれば、家族は簡単に同行できます。)Collin先生はレンヌの市内中心部に2LDKのアパートをお持ちで、その家をお借りする事ができました。勤務先の病院はそのアパートからバスで30分くらいのところで、バス通勤しておりました。私の家族は嫁と3姉妹でして、当時の学年は小学6年、5年、2年でした。渡仏前からせっかく留学するのだからと、現地学校を探していたのですが、結局見つからず現地でなんとか探そうということになりそのまま留学しました。(インターネットで現地日本人お助けサイトなど駆使しましたが、有力な情報は得られませんでした。)現地では週1回の日本語補習校に通う事になり、そこに現地の駐在の日本人の子供達と一緒に通学していました。そこで長年日本人のお世話をしてくれている先生がいまして、その先生のお力を借りまして、なんとか3人同時に、現地の私立学校に強引に娘たちを入学させてくれました。(入学面接の時、入学できると知った時、次女は学校に通うのが不安で悲しくて大泣きしていました。最終的には次女が最も学校生活を満喫していたようですが。)

娘たちは9月から12月まで4カ月間学校に通いましたが、かなり大変だったみたいです。あいにくフランス語は全くできませんでしたので、コミュニケーションは全く取れなかったようです。しかし、長女は特別に携帯の使用を許可してもらい、グーグル翻訳を介して意思の疎通をなんとか図っていたようです。次女と三女はなんとなく相槌だけで乗り切ったみたいです。またフランスは小学生が自分たちだけで外を歩くことは禁止されておりますので、親が学校まで往復で付き添いをしないといけないので、それもまた大変でした。(昼ごはんに家に帰るため、1日2往復、付きそいの親は1日4往復。)子供達にとっても、基礎学力ゼロからの語学習得は本当に難しい事だと感じました。(子供の性格にもよると思いますが。ビザの関係でまさか長期滞在できると思っていなかったため、語学の勉強をさせていませんでした。)

レンヌでの滞在中は比較的時間があり観光もたくさん行けました。特にモン・サン・ミッシェルは大のお気に入りでして3回も行きました。その景色は雄大でして、まさに神秘的で、心が震えるほど美しかったです。(特に日本人が大好きな観光地ですので、毎回、たくさんの日本人がいました。)しかし、ヨーロッパは緯度が高いため、冬になると日照時間が極端に短くなります。朝9時頃に夜が開けるため、子供が学校に通う際は真っ暗でした。寒さはほどほどでしたが、家はセントラルヒーティングがしっかりしているため24時間暖房つけっぱなしで、すごく快適でした。(真冬に一度セントラルヒーティングが壊れて、夜に暖房が止まった時は家で凍え死ぬかと思いました。)夏の留学と冬の留学では、本当に気分がまるで違いますので、半年、3カ月の留学なら迷わずトップシーズンを選ぶべきです。トップシーズン中はたくさん観光に行けましたが、オフシーズンはずっと家に引きこもっていました。

私がこの留学で得たものは色々とありましたが、やはり肩領域を勉強している医師として、聖地とも言えるフランスで肩の手術を勉強できたことは何よりの財産となりました。これから海外での留学を考えられている若い先生へのメッセージとして、臨床留学なら3カ月でも十分です。そしていくならまちがいなくトップシーズンです!(価値が3倍くらい変わると思います。)非英語圏のヨーロッパでもフェローを受け入れてくれる先生は必ず英語が喋れますので、TOEICで英語を鍛えてどんどん積極的に海外留学してほしいと思います。(この留学で、英語以外をあえて勉強する必要はないと強く思いました。)世界をまたにかけて活躍しておられる先生の言葉には重みがあり、強い信念があります。また当然たくさんのフェローを抱えていらっしゃる先生は例外なく人格者であり、その治療に対する姿勢を肌で感じる事により、今後自分が医師として生きる上での医師像が明確に想像出来るようになります。本当に海外留学してよかったと思います。

最後になりましたが、留学の機会を与えて下さいました中村博亮教授をはじめ、同門の先生方、またお力添えいただきました多くの先生方にあらためて厚く御礼申し上げます。この経験を医局に還元すべく精進してまいります。

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